復員後は日本人ではなくなり外国人扱いとなった呉さん。5年遅れで日本の高校に通いパチンコ店で働きながら法政大学に入学した。卒業後は横浜中華街にある銀行に40年近く務めた。1度だけ日本国籍の取得を考え役所を訪れたが、日本人としての過去を否定されるような対応されたことがあったという。戦後の補償問題にも釈然としない思いを抱えている。1974年にインドネシアのジャングルで台湾出身日本兵が発見された。終戦を知らずに30年もさまよい続けていた。日本政府は未払い給与などの名目で台湾出身日本兵に約6万円を渡しインドネシアから台湾に帰らせた。これをきっかけに台湾出身の元日本兵らは補償を求める訴えを起こしたが認められなかった。