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「旅路のひとよ」 のテレビ露出情報

札幌から車で1時間のところにある人口約2万人の町、余市町で家について行っていい人を探す。午後9時、駅前で人を探すが人の姿はなく。5分後スナックが密集する余市歓楽街へと到着しお店に取材を申し込みお客さんに話を聞く。店内には5人で来たというお客さんがいてテレ東について予算が少ないためディレクター1人でカメラを回すなど大変であると話した。そうテレ東を心配してくれた男性だったが家への同行は断られ、スナックでは惨敗だった。店を出てさらに探しているとスナックから帰ろうとしていた男性がおり、取材を申し込みすると全く問題ないとOKしてくれた。同行を許可してくれたのは生まれも育ちも余市の79歳の山本強さん。自宅はアパートで7世帯くらいが入っていると教えてくれた。
山本さんの自宅を訪問。住まいは築40年の家賃3万円の1LDKの部屋。部屋にはNationalの炊飯器や4~5年着ているTシャツなどがあった。布団はずっと引きっぱなしであるなど話した。山本さんはテレビ出演について余市の有名人になると興奮していると話した。そんな山本さんは元々長距離トラックの運転手で青いバナナを運送していたという。部屋には余市町内で開催されたカラオケ大会のチャンピオンになったときの賞状などがあり鶴岡雅義と東京ロマンチカの「旅路のひとよ」をワンフレーズを披露してくれた。カラオケは週4、5日行くと話し部屋にはHBCの「家族そろって歌合戦」に兄と姉と一緒に出演したときの写真が飾られていた。山本さんは6人兄弟でうち4人が健在だという。普段自炊をしていて納豆とたらこバターご飯を食べているという。
壁には賞状の他写真が飾られており独特な張り方は自分で思いついて貼ったと話す。写真は亡くなった兄弟や別れた妻子の写真があった。妻とは互いに20歳くらいで一緒になったが45歳くらいで離婚したという。理由は山本さんの浪費などを含めたわがままであるが電話連絡はいつでも取れるという。子供は3人いたが1人は2歳半ばで亡くなり、もうひとりは47歳でがんで亡くなったという。写真は事あるごとに見るといろんな想い出があり寂しさを癒やす一つの方法と話した。一人は寂しくどうしても誰かと会話したくて外に出てカラオケに行ったりし癒やされ、それによってできた友達もたくさんいると話した。そして山本さんが毎日食べるたらこバターご飯を作ってくれることになった。電子レンジの調子は悪いため山本さんは2分間ツマミを握り続けご飯を加熱し、ご飯の上にバターを乗せたらこに醤油をかけて、刻みながら食べるなどレクチャーしてくれた。余市で山本さんの家について行ったら寂しくても明るく生きる男性から美味しい夜食を頂いた。

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