- 出演者
- 矢作兼(おぎやはぎ) 狩野恵里 ビビる大木 山口もえ イワクラ(蛙亭)
オープニング映像。本日は日本全国の至るところで「家、ついて行ってイイですか?」と交渉したと紹介した。
青森ねぶた祭の会場で家について行っていい人を探す。しかし、ホテルに泊まっているなどで断られたり、祭りに夢中で中々インタビューもできず祭りは終了。会場に残っていた人に話を伺う。声をかけたのは扇子持ちで動かしていて青森大学の学校職員だという。そして交渉したが今日の反省会するため駄目であると話すが明日なら大丈夫と話した。
翌朝10時、足澤さんの自宅を訪問。2人共青森出身で車庫には2年前に出したねぶたが飾られていた。ねぶたの表面は和紙で木と針金と形作られているなど紹介。ねぶたは電気代等をひっくるめて2300万円くらいになりカズナリさんは18歳から毎年参加しているという。自宅は5LDKの1500万円の持ち家で今の時間は寝ている息子さんもいるという。息子さんはユキコさんの連れ子で2回目の結婚同士で8年目。自宅には小沢仁志さんのサインがあり実は映画にも出演した経験があるとそのシーンが公開された。冷蔵庫を見せてもらうとねぶたになると誰も家でご飯を食べないため中は少なめだった。また田子町の黒ニンニクが冷蔵庫にありこれできのうの疲れは吹き飛ぶという。今年の足澤さん達の団体のねぶたの題材として源為朝は弓の名手で流行り病を弓で退散させた伝説があるなど解説してくれた。また部屋には竹刀がありカズナリさんは青森大学で剣道部の指導をしているという。
続いてカズナリさんの書斎へ案内してもらった。部屋には剣道関連のものなどがあった。今年2月には県で2位になるなど監督兼現役選手としても活動している。剣道の段は七段で最高目標は合格率15未満の八段と話した。続いて寝室を見せてもらった。寝室の奥には洗濯物を干すなどに使われるサンルームがありねぶたのTシャツが干されていた。ねぶたについて青森山田の高校生が曳き手をしていてきょうは審査の発表が行われると教えてくれた。ねぶたの作りが良くても囃子が下手くそなら点数が低なるなど話しだからみんなで協力しているという。カズナリさんは扇子持ち自体の経験はまだ5年目でそれまでは祭りを妨げる連中達の取締を警察とタッグを連携してやっていてやっと今扇子持ちの依頼が入ったという。しかし4年前コロナ影響でねぶたの運航が縮小し我慢してきて今年はその分の想いをぶつけると話した。カズナリさんは短い青森の夏の中で唯一1つになって誰でも参加できる部分がねぶたの魅力であると話した。
そしてその夜、最後の運航が行われカズナリさんは2時間にわたり青森山田学園のねぶたを指揮し続けた。そして審査が発表される。
ねぶた祭りで出会った足澤さんに密着。ねぶたの運航を終了しカズナリさんの団体は惜しくも入賞はのがしたが楽しく運行できたと話した。青森ねぶた祭で足澤さんについて行ったらねぶたに人生をかける男の生き様が見れた。
深夜の鹿児島で家について行っていい人を探す。声をかけたのはこれから屋台村に向かうという3人組の女性。交渉すると番組を知っているとテンションが上がる。来てほしいが家が汚いやビートルズのエピソードがないなど話して同行できなかった。
札幌から車で1時間のところにある人口約2万人の町、余市町で家について行っていい人を探す。午後9時、駅前で人を探すが人の姿はなく。5分後スナックが密集する余市歓楽街へと到着しお店に取材を申し込みお客さんに話を聞く。店内には5人で来たというお客さんがいてテレ東について予算が少ないためディレクター1人でカメラを回すなど大変であると話した。そうテレ東を心配してくれた男性だったが家への同行は断られ、スナックでは惨敗だった。店を出てさらに探しているとスナックから帰ろうとしていた男性がおり、取材を申し込みすると全く問題ないとOKしてくれた。同行を許可してくれたのは生まれも育ちも余市の79歳の山本強さん。自宅はアパートで7世帯くらいが入っていると教えてくれた。
山本さんの自宅を訪問。住まいは築40年の家賃3万円の1LDKの部屋。部屋にはNationalの炊飯器や4~5年着ているTシャツなどがあった。布団はずっと引きっぱなしであるなど話した。山本さんはテレビ出演について余市の有名人になると興奮していると話した。そんな山本さんは元々長距離トラックの運転手で青いバナナを運送していたという。部屋には余市町内で開催されたカラオケ大会のチャンピオンになったときの賞状などがあり鶴岡雅義と東京ロマンチカの「旅路のひとよ」をワンフレーズを披露してくれた。カラオケは週4、5日行くと話し部屋にはHBCの「家族そろって歌合戦」に兄と姉と一緒に出演したときの写真が飾られていた。山本さんは6人兄弟でうち4人が健在だという。普段自炊をしていて納豆とたらこバターご飯を食べているという。
壁には賞状の他写真が飾られており独特な張り方は自分で思いついて貼ったと話す。写真は亡くなった兄弟や別れた妻子の写真があった。妻とは互いに20歳くらいで一緒になったが45歳くらいで離婚したという。理由は山本さんの浪費などを含めたわがままであるが電話連絡はいつでも取れるという。子供は3人いたが1人は2歳半ばで亡くなり、もうひとりは47歳でがんで亡くなったという。写真は事あるごとに見るといろんな想い出があり寂しさを癒やす一つの方法と話した。一人は寂しくどうしても誰かと会話したくて外に出てカラオケに行ったりし癒やされ、それによってできた友達もたくさんいると話した。そして山本さんが毎日食べるたらこバターご飯を作ってくれることになった。電子レンジの調子は悪いため山本さんは2分間ツマミを握り続けご飯を加熱し、ご飯の上にバターを乗せたらこに醤油をかけて、刻みながら食べるなどレクチャーしてくれた。余市で山本さんの家について行ったら寂しくても明るく生きる男性から美味しい夜食を頂いた。
高知駅で家について行っていい人を探す。声をかけたのは還暦祝いでハイテンションな女性達。しかしこのあと2次会で同行はできなかった。続いて盛岡駅で家について行っていい人を探す。声をかけたのは女性2人組で2日前にナンパをされその人のことイイなと思いきょうもいないかなと探していたという。その男性について竹内涼真がヒゲを生やしたらような感じの人だという。取材交渉をし実家に確認をしてもらったが駄目だった。続いてやってきたのは延岡市で商店街で家について行っていい人を探す。まず声をかけたのは男女で友人さんは顔出しNGで男性は趣味でCDとかを作って今度2枚目のCDを出すという。スタッフが取材交渉するとOKが出た。同行を許可してくれた岡部さんは普段はもやし生産会社に勤務しており歌は小4の時からで友人のかよちゃんは打楽器と作詞を担当しているという。
岡部さんの自宅を訪問。自宅は築30年の6LDKの持ち家。岡部さんは結婚はしておらず結婚願望はあったが歌中心の生活をしていたとかよちゃんが説明する。母親は4~5年前にがんで他界sし現在自宅は父親と2人暮らししている。2階にはカラオケ機材などがあり歌は趣味でやっていて収入で音楽での収入はないという。割り切っていると話すがかよちゃんからは割り切っていてはいないと話しテレビで歌を披露するのが夢だと明かした。そこで今回お礼などを指定ない状態なのでお礼も兼ねて一曲披露してもらうことになった。歌うのはレコーディング前の楽曲「熱い街 延岡」だったが難しくて中々歌えきれずテイク18で1コーラスを歌いきった。岡部さんは普段と違って緊張する話した。延岡について歌いたいと思ったことを聞くとかよちゃんがコロナであると答えた。岡部さんへの質問がかよちゃんが答え帰り際かよちゃんは急に顔出しOKしてくれた。のべおか七夕まつりで岡部さんの家について行ったらずっと気になっていたかよちゃんの顔出しがOKになった。
奈良・大和八木駅で家について行っていい人を探す。声をかけたのはギャグを披露してくれた男性で近くにいた女性たちとは知らない人だという。しかし同行はできなかった。その後もロケを続けるが酔っ払いやヤンキーが現れ絡まれるだkで家についていける人が見つからない。そんな中、高校の時と友人らと飲んでいたという男性に出会った。自宅は無理だが大親友に連絡してみてOKをもらえた。親友に連絡をしたのは医療関係の仕事で一応代表をしているという池辺晋一郎さん。親友について馬友で迷惑がられないや高校からの友人で社会人になっても遊んでいるや奥様も友人であると話した。そして親友宅へ到着しインターホンを鳴らし玄関を開けてくれた。
池辺さんの親友宅へ到着。池辺さんは玄関が開き、玄関に入った瞬間土下座したが家に入れてもらった。親友宅は築4年3LDKの持ち家で35年ローンで購入したと明かしてくれた。小西翔太さんが高校の同級生で妻のリサさんと池辺さんは塾が一緒だったという。タクシーでは池辺さんは僕の言うことは絶対に聞くみたいなことを言っていたとスタッフが明かすとそれは間違いないと話した。キッチンはオシャレ重視で翔太さんは棚に黒霧島を置いたら怒れたと話した。子供は2人おり、上の子はチーズフォンデュが好きであると話した。競馬について負けているやリサさんはピアニストで池辺さんが「Get Wild」を弾こうと話すとリクエスト通り披露してくれた。さらになんでも弾けるということでスタッフが浜崎あゆみの「M」を披露してくれた。
小西さん夫婦の出会いは11年前でそのきっかけが池辺さんで付き合いでバーベキューに行く時に運転手の子がドタキャンされ運転手として渡辺さんを誘ったという。リサさんの第一印象としてあんまり会ったことがないタイプでリサさんも好きなタイプではなかったが池辺さんの知り合いということでまずはクリアと思ったという。池辺さんは高学歴で昔から奈良にいる人にとっては信頼が厚い「畝傍高校」出身でその友人ならまぁまぁと将来性を加味してアリかなと思ったという。そして飲み会でもリサさんの話ばかりをされて池辺さんが早く付き合えよと後押ししてくれたという。そんな池辺さんについて意外とすごいちゃんとしていて優しい人で、一緒に飛行機に乗って旅行へ行ったときには降りるために通路に並んでいると前の女性が荷物取るのにもたついていると池辺さんは進んで取ってあげていたや旅行に行ったらお土産を買ってきてくれるなど話した。大和八木駅で池辺さんについて行ったら昔も今も変わらず強い絆で結ばれた優しい男性と夫婦に出会えた。
沖縄のアラハビーチで家について行っていい人を探す。声をかけたのは仕事をサボって家族とビーチにやってきたという男性。男性はそういう風が吹いたためサボったと話した。取材交渉したが断れてしまった。
館鼻岸壁朝市で家について行っていい人を探す。声をかけたのは洋服を見ていたご婦人で実家になるがOKであると話した。洋服を購入しインタビューを再開。OKしてくれたのは福士ひろみさんで一緒にいたのは甥っ子のしんじゅくんでベビーカーには9ヵ月になる次男ひなとくんの3人で朝市に買い物へやってきたという。実家には母と姉夫婦がおり車で姉にも連絡し家に向かった。ひろみさんは看護師で泌尿器科で透析を担当していたという。朝市のために5時半起きでしんじゅくんは普段は来ないという。また朝市には姉夫婦と娘もいたが先に帰ったという。ひろみさんの実家に到着。玄関では母のいくこさんと姉のすみよさんが出迎えてくれた。
ひろみさんの実家を訪問。実家は築5年の5LDKで姉夫婦と母が暮らしている。ひろみさんの夫は市内で仕事をしているという。姉家族が棲む2階を見せてもらった。子ども部屋は今は広いが将来的には夫妻で2部屋にするという。しんじゅくんの将来の夢は自衛隊でその理由はお父さんが海上自衛隊だという。実家には集まるのは今年初でひろみさんが3ヵ月に1回とかリフレッシュしに帰ってくるという。
ひろみさんの実家を訪問。ひろみさんは長男のかなとくんを紹介してくれた。かなとくんは脳性麻痺を患っており、ご飯は6歳だけど粉ミルクを花から胃まで管を通して食べている。痰も出せないため吸引をしないと詰まって死んでしまうこともある。ひろみさんは看護師だったためケアの抵抗はなかったが仕事はやめないといけなくなってしまったが家族は手伝ってくれると話した。かなとくんは7ヵ月の時に突然破水し668グラムの早産で誕生。ひろみさんは子宮頸がんを患ったことがあり早産のリスクは高いのはわかっていたが緊急帝王切開で産んだという。熱を出せば髄膜炎を起こして死ぬ可能性もあり常に死と隣り合わせの状態だという。今後回復する見込みはなくひろみさんは自分じゃコントロールはできないことではあるがお腹の中にいる間は守れるのは母親だけという認識から、体の中にとどめておけていたら今頃走り回って来年は小学校と今でも思うなど話した。夫はひろみさんがずっとネガティブなことを言うため常に前を向いてくれておりそれに救われたという。
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