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会見の終盤でイチローさんが語ったのは、プロとしての第一歩を踏み出した“愛する街への思い”だった。イチローさんは会見で「1995年は、そういう意味でも特別な年でした。それで神戸の変わり果てた街並みを見た時に、“自分たちに何ができるか”って、みんな考えました。」と話した。今から30年前、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災で兵庫県も甚大な被害が。1991年に、ドラフト4位で神戸を本拠地とするオリックス・ブルーウェーブに入団したイチローさんは、1994年にレギュラーに定着。この年イチローは、当時日本プロ野球史上初となるシーズン200安打の偉業を成し遂げた。さらなる飛躍を誓った1995年、大きな災害が神戸を襲った。イチローはさん会見で、「30年前のあの日を振り返ると、あの時期ですね。当時は『野球なんてやっている場合じゃない』という声もあった。僕らの中にもあった。」と語り、当時21歳だったイチローさんも自問自答したという。それでも「僕たちができるのはプロ野球選手としての使命、優勝する。当時まだオリックス・ブルーウェーブは優勝したことがなかった。」と語った。“オリックスとして初の優勝を”“愛する神戸を元気づけたい”という思いで掲げたのが、「がんばろうKOBE」という合言葉だった。チームは快進撃を続け、大震災から8か月後の1995年9月19日、オリックス・ブルーウェーブとして初めてのリーグ優勝。その中心には、常に背中で引っ張るイチローさんの姿があった。イチローさんは会見で、「春の段階で優勝を目標に掲げてはいけないチームだった。終わった時には神戸のファンの方々、みんなから感謝されました。ファンに対する向き合い方が大きく変わった出来事でした」と当時を振り返った。