プロフェッショナル イチロー スペシャル 知られざる闘いの記録
数々の記録を打ち立ててきたイチロー。その陰では苦悩の日々を送ってきた。保育園の頃からプロ野球選手を夢見て、小学3年生で本格的に野球を始めた。高校卒業後、ドラフト4位でオリックス・ブルーウェーブに入団。3年目に仰木監督に見出され、登録名を「イチロー」と変えた。レギュラーを掴むといきなりシーズン210安打の記録を打ち立て、イチローの名は瞬く間に全国に広まった。だが、この頃からイチローは「イチロー」は自分ではないという違和感を抱き始めていた。苦しさから逃れようと常軌を逸する厳しいトレーニングに明け暮れた。ヒットを量産し続けるイチロー、さらにヒートアップする世間の注目。次第にイチローは人目を避け、部屋に引きこもることが多くなった。首位打者は当然、その期待は重圧となってのしかかった。追い立てられるように打撃の改良に取り組み、毎年バッティングフォームを変えた。気がつくと野球を楽しめなくなっていたという。このままでは自分はダメになると、アメリカに渡る決断をした。メジャーリーガーとして再スタートを切るといきなり首位打者、そしてMVPの大活躍。4年目にはメジャーのシーズン最多安打記録を塗り替えた。だが、結果を求められる重圧は変わらなかった。自らに課した200本安打という目標。毎年、170本を超えると途端に打てなくなった。精神的に追い込まれ、食事の最中に突然呼吸が苦しくなることもあった。その中で、結果を出し続けるために毎年新たなバッティングに挑んだ。そして、2007年ひとつの決意を固める。重圧に耐えるのではなく、正面から重圧と向き合う。