気になる家 (気になる家)
東京・江古田の気になる家を案内してくれるのは5年前に引っ越してきた石綿晶代さん。若者で賑わう町の一角にある気になる家を訪ねてみる。家主の能登路雅子さんと、奥村園子さんが迎えてくれた。2人とも幼いころにこの家に住んでいたという。中を案内していただく。客間、広縁、洋間、台所がある。台所には収納がいっぱいある。珍しい黒電話や五右衛門風呂まである。
東京・江古田の気になる家、初代の当主は佐々木喬さん。東京帝国大学の教授として農学を教えていた。雅子さんと園子さんの祖父にあたる。喬さんがこの家を購入したは1935年。炭と巻を扱うお店の木下利三郎さんは当時のことを知っている方。農家の人はすごい住宅ができたとびっくりしていたという。
同潤会は関東大震災を受けて東京と横浜に住宅を供給した団体。当時は時代の最先端をいく人気の物件だった。アパートのイメージが強い同潤会だが、郊外に戸建ての木造住宅も作っていた。江古田にも30件、そのうちの一つが佐々木邸だった。幼い頃、雅子さんと園子さんが暮らしていたのは一番奥の部屋。母・民子さんは喬さんの次女。佐々木家には当時、厳格なルールがあり、子どもは正面玄関を使ってはダメで勝手口を使っていた、洋間など祖父の領域に入ることも許されていなかった。雅子さんは祖父の喬さんはただただ怖いおじいさんだと思っていたという。最近、洋間の床に囲炉裏があったことが分かった。戦争が激化してライフラインがたたれても、囲炉裏で家族が暮らしていけるように喬さんが工夫したのではないかという。
近所で生まれ育った河西みち子さん。河西さんは園子さんの小学校時代の同級生で、よくこの家に遊びに来ていたという。1952年、母親の民子さんは小さな塾をはじめた。塾には河西さんも含め近所の子どもたちが集まったという。みんなが今も覚えている英語の歌がある。その後、園子が中学にあがった年に一家はこの家を離れる。姉妹2人はそれぞれ学問の道へ進む。園子さんは高校で英語の教師に、雅子さんはアメリカに留学し東京大学の教授となった。1969年、喬さんはこの世を去り、家は長男の芳麿さんに継がれた。姉妹の従兄弟・広子さんは70年代にこの家で暮らしていた。広子さんの部屋はかつて塾が開かれていたあの四畳半。江古田に30軒あった同潤会の木造住宅は建て替えが進み、佐々木邸が最後の一軒となった。2005年には芳麿さんも夫婦で施設に入ることになり、佐々木邸には住む人がいなくなってしまった。
4月、雨の中やってきたのは20名ほどの女性たち。佐々木邸はいま一般公開はしていないが、不定期に見学会を開いている。中でも目をひくのは五右衛門風呂。姉妹が幼少期を過ごしてから半世紀、2005年には住人がいなくなってしまった佐々木邸。雅子さんが調査を依頼したのは、住宅の専門家の内田青藏さん。当時、偶然にも同潤会の木造住宅について調査をしていた。調査に入った内田さんは中の様子に驚いたという。姉妹が暮らした家はいつしか貴重な住宅遺産となっていた。2人は家を建築当時に戻して保存する一大プロジェクトをはじめた。問題となったのはお風呂でガス炊きに改築されていた。2人は元の五右衛門風呂に戻そうとしたが、資料がない。同潤会の住宅の住民だったというご近所さんが当時の五右衛門風呂を思い出して資料などを作り、五右衛門風呂を復活させた。2010年、佐々木邸は国の登録有形文化財に認定され、今では年に数回イベントや見学会が開催されている。再び人々が集まる風景が見られるようになった。