新美の巨人たち 新美の巨人たち
野見山は福岡県筑豊で生まれた。7人兄弟の長男として生まれた。父親は地元で名を馳せた炭鉱主で絵さえ描いていれば楽しかった子供時代。その後中学を卒業すると東京美術学校に進学し画家を目指した。しかし第二次世界大戦が発生し、戦況悪化で学生も戦場へ駆り出された。戦地で肋膜炎を患った野見山は日本へ返されて陸軍病院で終戦を迎えた。野見山の初期の代表作は故郷を描いた炭シリーズ。31歳になった野見山は本場で西洋画を学びたいとパリに私費留学。12年に及んだヨーロッパ暮らしの中で日本の新人洋画家の登竜門第2回安井賞を受賞している。そこからカタチが消えていく。