奇妙な果実 怒りと悲しみのバトン

2024年5月23日放送 23:50 - 0:34 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト 映像の世紀バタフライエフェクト

奇妙な果実とは木に吊るされた黒人の死体のことで、アメリカのタイム誌は、1939年に発表された奇妙な果実を20世紀最高の歌に上げた。歌ったのはビリー・ホリデイ。アメリカに激しい人種差別が吹き荒れるたびに奇妙な果実がカバーされ、時代を超えて歌われつづけた。21世紀、役割を追えたように見たこの歌は未知のウイルスが分断した世界でまたも蘇った。1919年、第一次世界大戦を戦ったアメリカ軍兵士がニューヨークに凱旋した時の映像で行進しているのは黒人だけで編成された第369歩兵連隊で、ハーレム・ヘルファイターズと呼ばれた。彼らはヨーロッパの前線でジャズを演奏し兵士や地元住民を元気づけた。1920年代にアメリカは未曾有の好景気を迎え、大流行したジャズに彩られたその時代はジャズ・エイジと呼ばれた。人々は反映を謳歌し、ジャズを提供するナイトクラブが盛り上がった。客は白人でステージに立つのは黒人という、腕に覚えがあれば稼げるジャズの世界は黒人の活躍できる数少ない場所だった。
黒人ミュージシャンの中からスターも生まれ、ブルースの女帝とも言われたベッシー・スミスや、ルイ・アームストロングの人気に火がついたのもこの時代。この頃、ニューヨークの黒人達はマンハッタン北部のハーレム地区に住むようになっていたが、このハーレムでジャズに魅了された少女がエレノラ・フェイガン。後のビリー・ホリデイだという。エレノラの家庭環境は複雑で、母親はジャズミュージシャンの父親と別れ売春で生計を立てていた。エレノラは学校に通わずに14歳で母親のいる売春宿で下働きをしていたが客を取らされることもあったという。家計を助けるためにエレノラはナイトクラブの踊り子に応募したが、うまく踊ることができなかったが代わりに歌を披露。歌手ビリー・ホリデイの誕生のきっかけになった。ビリーを見出したのは駆け出しの音楽プロデューサーのジョン・ハモンド。大学を中退しジャズ界で一旗あげようと野心に溢れていた。聴くものの心に深く染み込む歌声でビリーはすぐに頭角を現し19歳の時には映画に出演し、恋人にすがる女性を演じた。1938年にビリーは当時ジャズ界では白人なら白人だけ黒人なら黒人だけでバンドが組まれていたがクラリネット奏者のアーディ・ショウが率いる白人バンドにビリーは黒人ボーカリストとして参加した。
当時、アメリカ南部の州はあらゆる施設が黒人と白人でわけられていた。ビリーらが南部のケンタッキー州で舞台に立った時、客席から人種差別的な発言があり演奏者と喧嘩が発生したこともあった。人種の坩堝であるニューヨークに戻ってからもそれは同じだった。ビリーはその扱いにバンドを辞めたというが、また打ちのめす出来事には、ジャズミュージシャンだったビリーの父が亡くなった。南部テキサス州の公演中にビリーの父は肺炎になり、黒人を受け入れてくれる病院がなくそのまま死んでしまった。ビリーはこのことに立ち直るのに時間がかかったと話している。23歳になったビリーはマンハッタンにできた新しいナイトクラブで歌い始めた。カフェ・ソサエティは才能があれば誰でもステージに立つことができ、金さえ払えば人種を問わず誰でも客として迎える店。この店を開いたのはユダヤ系アメリカ人のバーニー・ジョセフソン。肌の色で区別されないクラブを作りたいと開いた店だったが、4ヶ月経過した頃にビリーの歌声に魅了された人が歌を持ち込んだ。学校の教師として働いていた詩人のエイベル・ミーロポルはアメリカ系ユダヤ人。その歌はStrange Fruitで意味は奇妙な果実。その歌詞には南部の木には奇妙な果実が実るとあるが、これは木に吊るされた黒人のリンチ遺体を果実にみたてたもので人種差別を告発するものだった。20世紀前半、白人による黒人のリンチが遊び半分で日常的に行われていた。1882年代から1927年代でのリンチでの黒人の犠牲者は記録されているだけでも3500人を超える。黒人男性は白人女性を見つめただけでレイプする意思があるとみられ、正義の名のもとに黒人へのリンチが行われた。殴られ、打ちのめされた黒人は、生きたまま油をかけられて焼かれ、遺体の写真は絵葉書として販売されることも。
ミーロポルの両親はウクライナ西部出身のユダヤ人だった。ロシアでの迫害から逃れるために1902年にアメリカに移住してきた。ミーロポルにとってアメリカの黒人差別は人ごとではなく人種差別をしリンチと不正義を働く人々に嫌悪していたという。ビリーはその詩をみた時感動し、自分の父が殺したもの全てが表されていると感じたという。そして奇妙な果実を歌ったビリーは、怒りをあえて押し殺した歌声で、聴くものの心に突き刺した。ビリーは奇妙な果実をレコードにしようとしたが過激な歌詞であることを理由に多くのレコードレーベルから録音を拒否されたが、その中で引き受けてくれた人が一人。新しくレーベルを設立したばかりだったミルト・ゲイブラー。彼もまたユダヤ系アメリカ人だった。レコードが発売されると、マスコミは奇妙な果実をセンセーショナルに取り上げた。タイム誌は奇妙な果実を黒人たちにとって強力なメッセージとなる音楽とし、ビリーの写真付きで紹介。白人が主な読者のこの雑誌で黒人であり女性が掲載されるのは極めて稀。奇妙な果実はラジオでも放送禁止扱いをうけたがこの歌はそんな障害をもろともせずにヒットチャートをかけあがっていった。
しかし奇妙な果実はビリーを破滅へと導いた。この頃ビリーは麻薬を手放せなくなっていた。ビリーに麻薬を教えたのは歴代の恋人たち。売れっ子となったビリーは男たちにたかられてヘロインやコカインといった麻薬におぼれていった。人種差別に抗議し社会からも支持を得ていた黒人女性シンガーはアメリカ政府にとって忌々しい存在だったためにビリーの麻薬中毒は恰好の攻撃材料となった。麻薬局長のハリー・アンスリンガーは黒人のジャズをアメリカの秩序を乱す悪しき風俗とみて批判した。1947年にフィラデルフィアで公演中のビリーだったが、ヘロイン所持で逮捕され9ヶ月にわたり収監された。仮出所から程なくしてビリーはカーネギーホールでコンサートを開いた。すると白人も黒人も観客が押し寄せた。通路にも客席が設けられ、チケットの売り上げは過去最高に。ビリーはその後も麻薬を辞めることができず、若い頃90キロあった体重は晩年になるとその半分まで落ちていたという。ビリーが亡くなる4ヶ月前に出演した番組は奇妙な果実を歌う唯一の映像。
ビリーの死から二年が経過し、ミネソタから逃げようと若い一人のミュージシャンがいた。ボブ・ディランはナイトクラブで引き語りをしながら曲を作り続ける日々を送っていた。ディランは幼少期からビリー・ホリデイの歌を聞いて育ち、ディランもビリーのようなメッセージを込めた歌で社会を変える力になりたいという夢を描いていた。ディランを見出したのは音楽プロデューサーのジョン・ハモンド。ビリー・ホリデイを見出した人で、ディランの才能を見抜いて周囲の反対を押し切ってレコードレーベルとの契約をまとめた。 そして1962年にディランはある事件についての歌を発表する。それは1955年に発生した エメット・ティル殺害事件。南部のミシシッピ州で、シカゴから南部にいる親戚の元に訪れていた14歳のエメット・ティルは食料雑貨店の女性店員に口笛を吹いて生意気な口を利いたという理由で女性の夫たちにリンチされ殺された。数日後に、ティルの遺体はシカゴへ。葬儀が行われたがその姿はむごたらしいものだったという。鼻は鈍器で殴られ頭に銃弾が打ち込まれるなどしその遺体を見た人が気を失うほどだった。母のエイミーは事件を知らしめるためにあえて遺体を4日間公開した。裁判が開かれ、起訴されたのは女性店員の夫と兄の二人。弁護士はティルが殺害されたのは白人女性を守る正当な理由だと主張した。陪審委員は全員白人という中で判決は無罪となった。
ディランの強烈なプロテストソングに心を動かされた黒人シンガーがいた。当時、ポップやラブソングで黒人のみならず白人のファンも多く獲得していたサム・クック。1964年にディランに触発されたサムはA Change Is Gonna Comeを発表。変化はいつか起こるという意味で黒人差別との戦いを宣言したプロテストソング。白人のファンを失う可能性もあったがサムは録音に踏み切った。その年の7月には公共施設や学校などでの人種隔離を撤廃する公民権法が成立。黒人の人々の願いが一歩前進した。しかし公民権法の設立の5ヶ月後にサムはロサンゼルスのモーテルでトラブルを起こして管理人の黒人女性に射殺され5000人が早すぎる死を悼んだ。サムはこの決意の歌をステージで歌うことはできず。しかしこの歌は公民権運動で繰り返し行われ、差別と戦う人たちの勇気を支え続けた。それから44年が経過しサムの歌ったいつかが大統領選に立候補したバラク・オバマがチェンジとテーマを抱げた。支持者が作った選挙キャンペーンで制作した映像のテーマ音楽にはサム・クックのA Change Is Gonna Comeが使用された。そしてオバマはアメリカ初の黒人大統領となった。勝利演説でオバマはサム・クックの歌詞を引用し民衆に語りかけた。
しかし2020年には世界に吹き荒れたパンデミックが、人々が胸の奥底にしまいこんでいたヘイトを解き放った。白人警官によって黒人のジョージ・フロイドさんが殺害される事件を起に人種差別への怒りが燃え上がった。そしてビリー・ホリデイのあの歌も歌われるようになった。そしてブラック・ライヴズ・マターの最中映画「ザ・ユナイテッド・ステイツ vs. ビリー・ホリデイ」が公開された。ビリー・ホリデイの壮絶な人生を描く劇映画で人種差別が繰り返される度に奇妙な果実はよみがえる。2020年には、一つの法案が可決された。それは人種差別によるリンチ行為を建国以来はじめて犯罪をみなし罰することを可能にした法律が生まれた。その法律には1955年に南部でリンチによって亡くなった少年のエメット・ティルの名が使われた。1959年に行われたジャズシンガービリー・ホリデイの葬儀の映像では、黒人だけでなく白人のファンの姿もみえた。ビリーは生前にささやかな夢に田舎に大きな土地を持って望まれずに白い肌に生まれついた子供たちの世話を焼いてみたいなどと語っていた。


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