ファミリーヒストリー 石川佳純
石川佳純は、両親と妹の4人家族。母親の久美さんは国体に3度出場した元卓球の選手で、自宅で卓球教室を開いている。母方の小川家の先祖は黒田官兵衛に仕えていた。黒田官兵衛に格別の忠義を尽くした小川家の武将が、小川与左衛門。1578年に黒田官兵衛は荒木村重に捉えられ存亡の危機に瀕する。離反するものが相次ぐなか、生涯忠義を尽くすと誓った家臣たちがいた。起請文の12人の家臣のなかに小川与左衛門の名があった。その後小川家は、官兵衛の孫が興した秋月藩の重臣として代々仕えた。島原の乱で天草四郎が籠城する城に秋月藩の武士が攻め入る様子を描いたものには、旗を背負った小川家の先祖がいた。明治27年に小川家次男として生まれた小川虎五郎が、石川佳純の曽祖父。堂々とした雰囲気をまとう人物で、従業員数百人を抱える紡績工場の工場長をしていた。