ひるおび JNN NEWS
相馬飛行場は石川県能登半島の東に位置し、山が近く滑走路の建設に使う土砂が出やすいこと、周辺の気流が安定していたことなどが建設に繋がったと考えられている。小浦忠吉さん73歳は、この地区の田鶴浜地方史の会に所属し80年前に出来た飛行場について子どもたちに語り継いでいる。相馬飛行場の建設が始まったのは太平洋戦争末期1945年6月10日。当時国内55か所で新たな軍事基地建設が行われ、相馬飛行場もその1つだった。小浦さんと同じ地方史の会で活動した作井吉雄さん98歳は、当時の相馬飛行場が作られる様子を目の当たりにしていた。工事には航空隊配属の予科練生や朝鮮半島からの労働者など約600人が動員されたが、その作りは簡素なものだった。工事開始から2ヶ月後の8月15日、相馬飛行場が完成したその日に玉音放送で終戦が告げられた。地方史の会は2008年から地元の小学校などで特別授業を開いている。