731部隊 元少年兵の証言

2024年4月13日放送 18:24 - 18:39 TBS
報道特集 (特集)

中国・ハルビンにある第七三一部隊罪証陳列館の標本室に当時並べられていたホルマリン容器。731部隊の元少年兵の清水さんは上官から見せられたという。上官からマルタを解剖したものと伝えられたという。清水さんには、仲間と3人でいる時に上官がパンを差し入れてきたので食べたが熱が42度3分でて、1週間寝ていたという。1週間たったらやっと注射を打ってくれたという。この1週間でデータをとられ、清水さん自身がなんらかの実験台にされたのではと振り返る。731部隊の隊員には帰国してから一切語らぬよう厳しい箝口令が敷かれていた。清水さんが731部隊について話し始めたのは数年前、80代になってからだった。なぜ話し始めたのか。事実を子どもたちに伝えなければならないとの思いで講演の依頼を受けるようになった。終戦からは70年以上がたっていた。清水さんのことが報道されるとネット上では清水さんを中傷する書き込みも。さらに、731部隊による細菌兵器や人体実験がそもそも嘘だとする書き込みもあった。
清水さんは他の隊員とも連絡を取っている。長野・軽井沢町に731部隊の元少年兵の須永鬼久太さん(96)を訪れた。須永さんが唯一ハルビンから持ち帰ってくることが出来たアルバムには、同じ年齢の隊員と撮影した写真があった。入隊したのは終戦の3年前。731部隊の正式な名称は関東軍防疫給水部。本来の目的は疫病対策や飲料水の確保であり、細菌兵器を扱うとは思わなかった。須永さんは焼成班に配属され、ペスト菌などに感染させたノミをいれる陶器製の爆弾容器を作るのが仕事だったという。この細菌爆弾の実験が繰り返し行われたという。中国・安達という街に実験場の跡地として看板が建っていた。捕虜は十字架に貼り付けられた上、円上に立たされ、その真中でペスト菌などの爆弾を炸裂させ、感染するか実験したという証言もある。731部隊で作られた細菌兵器は実践で使われた。義烏市など中国各所で多くの住民が亡くなったという。2002年に中国人の遺族らは731部隊の細菌兵器で被害を受けたとして日本政府に賠償と謝罪を求めた裁判が行われ、賠償請求は棄却されたが、細菌兵器で大勢の中国人が死亡した事実を司法が初めて認めた。だが、翌年に当時の小泉内閣は「関東軍防疫給水部等が細菌戦を行ったことを示す資料は現時点では確認されていない」としている。原告団代表だった王選さんは、自身もおじを細菌兵器によって亡くしている。王選さんは、義烏市内は現在私たちの調査によると、被害者は1300人や1400人ぐらいだと話す。王選さんの案内で、母や妹が亡くなったという96歳の男性・王基木さんに話を聞くと「死者は爆発的に次から次へ広がって、それから村は焼かれました 毎日20人ぐらいが死んでいきました」などと明かした。中国・岐阜市崇山村では日本軍投下のペスト菌で多くの人が亡くなったという。
1945年8月15日、日本は終戦を迎えた。当時から細菌兵器の使用はジュネーブ議定書が策定されるなど禁止する動きが広がっていた。731部隊は撤退する際、証拠隠滅のため書類を焼却し施設を爆破したという。清水さんは終戦の3日前、焼かれたマルタ(捕虜)の骨を拾うよう命じられた。さらに「(8月)14日の朝 隊舎にいたら呼び出されて、拳銃と青酸化合物を渡されて、結局私は(当時)14歳だから全く子ども 捕まれば標本室を見たためにそれをバラされると 捕まったら自決しろと」などと振り返った。清水英男さんは「今の若い人たちはこういった戦争の残酷さをきちんと習得してもらってやってもらわないとこれからの日本はどうなるのかな」と話していた。


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