- 出演者
- -
八尾市にある友安製作所は1948年創業の会社で社員は132名。インテリア用品の製造販売の会社で年商は約25億円。しかし、20年前は倒産寸前の町工場だった。社長の友安さんはシアトルへ留学し車のパーツを輸入販売する会社を立ち上げた。しかし、父親の病気で帰国すると借金は売り上げの2倍以上あり友安さんは入社を決意した。しかし、父親に反対され新規事業を立ち上げ半年以内に結果を出さなければならなくなった。
この番組は先代の事業を受け継ぎながら新たなフィールドで挑戦する後継者を応援する番組。現在日本にある中小企業の数は約360万社で、うち57.2%が後継者不足。
友安さんが目をつけたのは安くてデザイン性の高い海外製のカーテンレールで輸入販売を始めた。地道な営業を続け契約が決まりだすがカーテンレールを販売する会社の社長に怒られ取り引きが10分の1に減った。その後ECサイトを作り事業開始から5年でカーテンフックを売り上げで上回った。しかし、突如成長がストップした。より安い海外製品が出回り価格面で太刀打ちできなくなった。友安さんは大阪・阿倍野にカフェをオープンし店内のインテリアは全て友安製作所の商品。2階にはインテリアショップを併設した。カフェは評判を呼び東京や福岡にもオープンした。また、工務店事業やレンタルスペース事業も始めた。
佐藤製作所は金属加工メーカーで従業員は17名半数以上が20代で女性社員が8名。製造業の約70%が赤字経営の中佐藤製作所は創業から66年で毎年黒字経営である。アトツギさんである佐藤さんは大学院を卒業後IT企業に就職後佐藤製作所に入社した。入社から1週間後後継者合宿に参加すると会社がまずいことに気がついた。大口からの顧客からの発注が激減した。佐藤さんは工場内の掃除から始めた後新規開拓をしたが職人が反発し会社を辞めていった。佐藤さんは職人が少なく需要が多い「銀ロウ付け」を前面に打ち出した。
佐藤さんは社長に新卒採用をお願いされたが反対された。求人票を出すと入社希望の学生は増えていき創業以来初の新卒社員が誕生した。すると職人が新卒社員に丁寧に指導した。新卒社員の入社の年から黒字化を達成し全国から注文が殺到している。また、約20社だった取引先が約400社に増えた。さらに、リペア事業も始めた。
テクノツールを立ち上げた島田さんの父親はエンジニアとして勤務していたが娘の死をきっかけに障害者のサポート機器を製造する会社を設立。島田さんは大学卒業後父親の会社には入らず電子部品メーカーに就職。3年務めた後テクノツールに入社し商品の営業を行った。その後任天堂の公式コントローラーを作ることを決意しゲーム用周辺機器と共同で開発することになった。決意から2年後コントローラーを完成させた。
島田さんは就労支援事業を立ち上げようと考えていて、現在3名重度の肢体不自由の社員が働いている。
- キーワード
- Nintendo Switch