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オープニング映像が流れた。
1968年放送の女子プロレス世界選手権。日本初の女子プロレス中継の映像が放送された。女子プロレス界の東洋の魔女と呼ばれた小畑千代に対するはアメリカ人ヒールレスラーであるファビュラス・ムーラ。大熱狂となり当時の最高視聴率20%超えを記録した。それから57年が経った令和では空前の女子プロレスブームとなっている。令和を戦うレスラーに密着した。
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雪妃真矢はこれまで数多くの有名団体に参戦してきたフリーレスラーである。デビュー10周年を迎える彼女は大規模な記念自主興行を目前に控えていた。だが興行2か月前の試合で左腕2箇所を骨折してしまい、6時間に及ぶ手術を経て長期欠場を余儀なくされた。何とか1試合限定の復帰を目指してけがの回復を急いでいた。この日はとある女子プロレスの興行へ来ていた。後ろ盾のないフリーランスのためチケット販売から興行の準備全て、その責任を一心に担うこととなっていた。そして蹴りを中心とした戦い方を最終調整していた。興行2日前には裏方スタッフと打ち合わせをしていた。今回はスポンサー無しの自費興行でかかる費用はおよそ500万円となっていた。その全てをこの10年で貯めた自らの貯金から捻出することとなった。昭和から平成・令和、3つの時代をプロレスラーとして駆け抜けてきたジャガー横田。15歳は本名・横田利美としてデビューしその後はリングネームをジャガー横田に改め、数多の世界タイトルを獲得してきたレジェンドである。キャリア48年で現在も年間60試合近く出場しているという。
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迎えた興行当日の朝。雪妃真矢がこの10年で出会ったおよそ40名のレスラーが大集結し、観衆を魅了した。初めてプロレスを見た選手、初めてファンになった選手、初めて女子プロレスを教わった選手がそこにいた。そして雪妃真矢はリングへ立ち試合を行うこととなった。試合が無事に終わったが、実は今後の人生に関わる隠してリングに上がっていた。
試合後の会見では医者に許可をもらえなかったため医療放棄の書類に署名をしたと話した。ジャガー横田はある試合で真っ逆さまに頭を叩きつけられてしまいあばらの骨も一緒に折れてしまっていた。かつてジャガー横田にも人生の決断をした過去があり、それは不妊治療を経て妊娠したときであった。そして雪妃真矢とジャガー横田はそれぞれの女子プロレスへの思いを話していった。
エンディング映像が流れた。