- 出演者
- 福山雅治 リリー・フランキー 満島真之介 広瀬すず
今回は長崎を旅する。ゲストには広瀬すずが登場した。福山が地元で自らのルーツをめぐる。
オープニング映像。
福山は長崎の旅の途中に夜行列車で上京してきたことを伝えた。寝台列車を利用したのは修学旅行が背景にあるという。学生時代科学万博 つくば’85にいったというがその時の修学旅行の移動が電車だったという。福山は修学旅行で夜行列車でゴザを敷いて寝ていたという。さらに地元話に長崎が生まれたルーツを紹介したが今回近代化と自由化がテーマだという。出島は江戸幕府が築かせた日本初の人口島。案内人が長崎の地名の由来などを解説し、出島は海外との貿易を盛んにするために作られた。さらに当時日本で禁止されていたキリスト教の布教なども行われていたという。
その後まもなくポルトガル人が追放されたが幕府にとってキリスト教が広まるのは都合が悪かった。代わりにオランダ人が貿易にやってきたが長崎にはオランダ人の街ができた。一行はそのエリアへ。最先端の学問を学べる場所になった長崎には偉人たちが勉強しにやってきた。福山は長崎の歴史が学べる施設で長崎の歴史を語った。
福山は長崎にいた学生時代に皿洗いのバイトをしていたという。その理由はギターを買いたかったからが理由だが10万円したので、学校の規則でバイトはしてはいけなかったが裏方ならバレないだろうと皿洗いのバイトをはじめたという。さらに福山は長崎に禁じられていたキリスト教が広まった歴史を解説した。そして到着したのが大浦天主堂。元々はフランス人の祈りの場所として作られたがこの教会ができたことで長崎に祈りの信仰が続いていたことがあきらかに。さらにその隣の施設のキリシタン博物館へ。この施設で隠れキリシタンたちがどういうふうに迫害を受けていたか、当時の信仰の仕方などが学べるという。その祈りを捧げていたものはマリア観音像という聖母マリアにみえる観音像だった。一行はこの施設の見学をし何を思ったのかを語り合った。
福山は高校時代について語り、女子高生が乗る街のバスが自分が待っているバス停に停車すると福山をみたくて歩道側に女子高生が寄ってきてバスが傾いたという。次にやってきたのは東古川町。コロッケという店にやってきたが学生に人気の店で福山もよく通っていたという。
東古川町のコロッケという店にやってきたが学生に人気の店で福山もよく通っていたという。味の感想に満島らは美味しいと答えた。そのコロッケはポテトクリームコロッケでリリーは女性も軽く食べられると味を絶賛した。次に向かったのは福山が人生で初めてイタ飯を食べた場所。シシリアで人気なのはマリンライスで味の感想に広瀬らは美味しいと答えた。リリー・フランキーはご飯感があると答えた。
福山雅治の長崎伝説を紹介。中学時代パンチパーマだったというウワサは本当だという福山。しかしその期間はわずか1週間程度で、卒業写真でリーゼントになって写りたかったが街の床屋では店主の施術が伴わずパンチに。その髪型に怖い先生に髪を切れと言われ、その場でカットしたという。その卒業式の写真はまさにその直後に撮影されたものだったという。そして当時ハマっていたのはTHE MODSでそのメンバーのリーゼントに憧れていたという。またもう一つの噂は「旭大橋の赤い流星」と呼ばれていたという話に福山は高校時代にバイクに乗っていたがこれは後に人に言われ知ったことだったという。さらに長崎県民に聞いた福山の心にグッと来る曲ランキングを紹介。第5位は18~eighteen~、第4位は桜坂。第3位は道標。第2位はクスノキ。
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リリー・フランキーは初めて映画でキスシーンをしたのは福山だったという。その時にリリーはロケバスで泣いていたと答えた。
長崎県民に聞いた福山雅治の心のグッと来る曲ランキング1位は家族になろうよだった。リリーは道標という楽曲は福山が亡くなった祖母を思って歌った曲だと説明し。一人のための歌は大衆の心をつかむという。福山は祖母との思い出を語り道標が生まれた経緯を説明した。次に向かうのは被爆クスノキがある山王神社へ。そこにあるクスノキは原爆が落とされた日に被爆し、その2ヶ月後に新芽が芽吹いた。福山はこのクスノキに特別な思いを抱いていたという。福山はKUSUNOKIキーホルダーというグッズを売って被爆樹木の保全活動基金に売上を寄付しているという。また木には当時のヤケドのようなあとがあるという。
長崎に落とされた原爆は一瞬で尊い命を奪ったがクスノキは焼け焦げた姿で佇んでいた。その後奇跡的に新芽を出して力強く生きるクスノキは長崎で生き延びた人々の希望の存在に。次に向かったのはガラス細工を扱う店。瑠璃庵にやってきたがポルトガルから長崎に伝えられたガラス製品は吹きガラスという製法で独自に進化を遂げた。代表的なのは長崎チロリ。長崎ガラス技法は江戸時代以降衰退した。そこでステンドグラス職人の竹田克人さんが文献などを勉強し蘇らせた。この店で一行はビードロを作る。
ビードロ作りをしている一行。広瀬すずのビードロ作りを周囲でサポートすることに。広瀬が膨らましたガラスを満島が成形するなど連携し竹田さんが完成を手伝った。こうして長崎ビードロが完成した。
次の福山伝説は高校時代に吹奏楽部でホルンをしていたという。ブラスバンド部で本当はサックスなどをしたかったが自身が入部した時には定員になっていてホルンしかなかったという。次に福山雅治原点の場所へ。
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福山の音楽の原点は原楽器店。昭和34年創業のこの店は福山が学生時代に通っていたというがこの店を訪れるのは20年ぶり。店主がリペアしたというアコースティックギターを販売していたが満島がギターをはじめたいとのことで福山が選んでくれるという。その結果KカントリーのKASUGA D‐300を購入した。また福山が学生時代に使っていた練習スタジオが楽器売場の奥に。学生に優しい料金で福山は懐かしいという。また中学生の時に初ライブを行ったホールも。そこで急遽福山が演奏をはじめることに。
福山は地元の学校には偉大な音楽家とともに自分の写真が飾られていると聞いたことがある答えた。
福山雅治が急遽演奏会をスタートしたがSIONのSORRY BABYを披露した。
福山は自身の青春時代を振り返り長崎に届いた東京のカルチャーに影響を受けまくっていたという。その80年代に福山雅治がハマっていたものは少女隊。中でも藍田美豊のファンだったが学生時代に地元に来たことがあるという。時が流れて数年前にCMできれいな女性が映っていたので調べるとその人は藍田美豊の娘だったという。学生時代のときめきが地続きなんだと実感したという。次にハマっていた香水について、福山の高校時代は香水をつけることがブームになっていたという。福山はTACTICSは学生の間でブームだったという。またBRAVASなども流行していたと答えた。