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オープニング映像。
中村専一さんはかつて神戸市長田区で蕎麦屋を経営していた。1995年に発生した阪神・淡路大震災では、震度7の揺れと大規模な火災が長田区を襲った。中村さんの家族は皆無事だったが、経営していた蕎麦屋は焼失。ずぐ近くにあった自宅も燃えてしまった。自宅も店も仕事も失ったが中村さんは、諦めなかった。震災から4ヶ月後に自力で復興し、店があった場所に店舗兼住宅を建て商売を再開した。店は地元の人や工事関係者で連日賑わった。しかし、目の前に立ちはだかったのは行政による復興事業。神戸市は甚大な被害をうけた新長田駅の南側を再開発地区に指定。市が、20ヘクタールの土地と建物を全て買収し、総事業費2710億円でおよそ40棟をたてて店舗と住宅を販売した。中村さんの家も住宅も、この再開発地区に指定された。
この地区で被災した商店主はビルで開業するかこの地区から出るかを迫られた。中村さんをあらゆる資料をあつめて勉強しビルで開業した場合の収支を計算した。その結果支出が多すぎて経営が行き詰まることがわかった。中村さんはプレハブを壊し、その地区から出ていくことにしたが悔しくてたまらなかったという。下町をビルの街にかえる神戸市の復興事業。ビルの中での商売を決めた人たちは、神戸市から店舗を買うか借りるかして商いを始めた。震災で全壊した大衆食堂は親子で開業。神戸市から店舗を借りたが、内装費に1200万円かかり、ローンの返済と家賃の支払いで首が回らないという。ビル特有の負担も降りかかり、神戸市から店舗を買った中華料理店を経営する男性は管理費が高く辞めにやめられない状況だという。管理費は共用部分の費用のことで、店によって金額は異なるが中華料理店の店主は、毎月4万円負担しているという。再開発ビルは共用部分が広く、様々な設備も備わっていて電気代、メンテナンス、清掃費、管理業務費は膨大な金額になり、各店舗にのしかかっている。
中華料理店が入る商業ビルは一ヶ月の管理費が数百万円にのぼっている。その一方で、期待したほどの人通りはなく、震災前の商店街は再開発で道幅は再開発されたが商店街は地下から地上二階にに拡大し人の流れが分散してしまった。廃業する店が多い中で店を辞めることさえできないという人も。再開発地区では店舗の価値が大幅に下落し、店を売ることが難しくなっていた。一年前に脳梗塞を発病したという店主は不自由な身体で店を続けているという。神戸市が描いた街は被災した店主にとっては苦しい街になった。行政のまちづくりは安全が最優先とし、商売が成り立つかは二の次だった。自力で建てた店を畳んで再開発地区を出ていった中村さんは、希望する人が残ることができるようにと神戸市に訴え続けた。中村さんたちの質問に神戸市は人口が増加し、街が発展し商売が活性化すると回答。あくまで高層ビルのまちづくりを貫いた。この街をみにきたグループは東日本大震災で店を失った商店主。男性は身の丈にあった復興をと神戸で教わったという。
2011年に発生した東日本大震災。宮城県気仙沼市の商店街は津波によって壊滅的な被害をうけた。それからおよそ15年、コロッケ店を営んでいた坂本正人さんと妻の京子さんは被災した中心市街地に新築の店を構えた。揚げたてのコロッケに、メンチカツ。日替わり定食は500円だという。弁当の配達の受け付けていて定休日なしで客を呼び込んでいる。2011年に震災の3ヶ月後に商店主のグループで神戸市を視察。学んだのは身の丈にあった建物を作ること。神戸でも学びを胸に刻んで坂本さんたちのグループは何度も話し合ってビルを建築し、南町紫神社前商店街をオープン。費用は国からの補助金と店主らが20年のローンを組んで支払いを続けている。丁寧に進めてきた商店街の再建だったが、想像が及ばなかったのは、行政側の復興事業による街の変化。震災後、気仙沼市の中心市街地では街を安全にするための工事がをし、嵩上げと区画整理が行われたが時間がかかり、全ての土地が所有者に渡されるまで10年かかった。商店街周辺の周辺市街地は人口は半分以上減少。気仙沼市全体で極端に減少した。行政のまちづくりが被災店主に影響に、神戸だけでなく東北でもその影響は小さくない。神戸市長田区の復興再開発事業が完了するのに30年が経過した。災害に強い街は完成したがビルの中の商店街は閉店セールの張り紙やシャッターが閉まったままの店が目に付く。神戸市が販売した店舗は大量に売れ残り、全商業施設のうち、6割弱の3万8400平方メートルを神戸市が所有している。その再開発での赤字は320億円にのぼる。
エンディング映像、
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2026年1月10日(4:50)
