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オープニング映像。
1960年代、日本は高度成長期を迎えていた。四大工業地帯として発展を支えた街が北九州。彼らを影で支え続けた場所が創業60年の理容室。ウリはパンチパーマ。技を極めたのが先代・永沼重己さん。伝説が始まったのは1960年代。当時、男性の髪型は短髪が主流。客は頻繁に理容室に通うため、どの店も賑わっていた。ところが1966年のザ・ビートルズ来日をきっかけに一変。ザ・ビートルズ流行により時代は短髪から長髪へ。理容業界は大打撃を受けた。理容師・永沼さんは理容器具ディーラーの貝塚さんと新たな髪型の構想を練りヘアアイロンを改良することにした。小さく強いカールを作ることに成功し歴史が動く。熱狂したのは鉄鋼マンたち。ヘルメットを被っても崩れないと評判に。さらに汗を書いても大丈夫とタクシー運転手や教師など様々な客が押し寄せた。九州だけではなく全国各地の理容室で進む。1970年、大阪でパンチパーマ呼ばれるようになり全国で定着し歌手・野球選手・ボクサーもパンチパーマで髪型の王者に上り詰めた。
1980年、多くの学校で校内暴力や非行が社会問題となっていた。映画俳優や学校の先輩に憧れパンチ化する少年たち。アイロンの根雨に耐えることは根性の証という説も出るほど語られるようになる。一方、バブル経済の階段を駆け上がる日本。男性の頭頂部も激動の時代へ、価値観とともに多様化した。パンチも燃え尽きたかと思えた。
時は令和。パンチパーマに復活の兆しが。その名も「濡れパン」。昭和のパンチパーマをアレンジしたもの。特徴は大胆な刈り上げとジェルで作る濡れ感。新時代のパンチパーマも汗を流す男の思いから始まった。かつて男の象徴だったパンチパーマだったが今は悩める人にも寄り添う。この日、お店には各地の理容師たちが集まった。年40回理容師たちに濡れパンの技術を伝えている。半世紀前に生まれた灯火、その熱は伝導し時代を巻き続けている。北九州のお店でも今もパンチパーマを求めて多くの客が訪れている。先代が他界したのは13年前。無くなる2日前まで店に立っていた。
「ドキュメント20min.」の番組宣伝。