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オープニング映像。
ヒロミは24時間テレビで102.3kmを走る。24時間マラソンを個人的なチャレンジと位置づけているという。24時間テレビのスタッフですらほとんど誰がランナーなのか知らされていなかった。
ヒロミはこの3か月、人目を忍んで努力を重ねてきた。後輩たちに背中を押されヒロミの24時間オジサンマラソンがスタートした。
出演者らが挨拶をした。蛯原はヒロミをずっと実況していたという。
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ヒロミは最初から快調なペースで飛ばした。この3か月の走り込みで足に痛みが出ていたという。最初の休憩地点ではヒロミを迎え入れる準備が始まった。また、沿道に人々が集まりだした。
練習がスタートしたのは6月。コーチが走力やフォームをチェックした。ヒロミは1人で練習をしたいと言い、コーチ曰くこれまでのランナーとは違ったという。練習を通じて少しずつ信頼関係が生まれ、7時間で38kmを走破した。ヒロミは人の手を借りずやり遂げたいと思い、自分のやり方を貫いているのかもしれない。第2休憩地点では初めて椅子に腰をおろした。
スタートからおよそ2時間、ヒロミは気力・体力ともにまだ充実しているようだった。食事のサポートとしてプリン・ゼリー・ほうじ茶ラテ・チョコレート・ココア・麦茶などが用意された。ヒロミは大好きな炭酸飲料を飲んだ。サポートランナーの上北さんは元山梨学院大学の陸上部という。
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- 山梨学院大学
ヒロミは昨年トライアスロンを完走していて、過去に2度フルマラソンも走破している。58歳で挑む102.3kmは間違いなく人生最大の挑戦という。突然の大雨が降ってきて、タオルの屋根が作られた。ここで有吉ゼミのリフォーム企画を手伝っている仲間や同級生が駆けつけた。次の休憩地点までおよそ1kmの登り坂だが、予定時刻よりも早く到着した。午前5時、休憩地点で生放送の準備が進む中、ヒロミは足を気にしていた。仮眠室ではあまり眠れなかったという。
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早朝、ヒロミは快調なペースで走っていく。2日目最初の休憩地点にたどり着いた。長男・凌央も6月から練習に参加したという。この日は予定にない休憩をとることになった。つま先が内出血していて、足首も痛いという。不安要素は左足・股関節と足首の硬さ・暑さという。股関節・足首の硬さによる影響は筋肉が疲労し足の運びが遅くなり、歩幅が狭くなって速度が出なくなることという。
左足首の痛みをこらえ、それでもヒロミは走り続けた。46.8kmの休憩地点にたどり着いた。痛む左足首をかばって、右足首までが疼き出した。午前9時を過ぎ、気温は上昇しヒロミは休憩地点では頭から氷水を浴びた。56km地点でヒロミは路上にしゃがみこんでしまった。
ヒロミはどんなに苦しくても沿道の人々への笑顔は忘れなかった。62km地点でヒロミは膝の痛みで座り込んでしまった。また、休憩地点ではヒロミに元気を送ろうと繋がりのある後輩芸人たちが集まった。
63.3kmの休憩地点では足をアイシングした。また、ヒロミに世話になったという芸人たちが寸劇を披露した。コースに戻ったヒロミの走りは休憩前と比べ軽やかに見えた。
24時間マラソンは暑さとの戦い。歴代のランナーが口を揃えて言うように、沿道からかけられる言葉の一つ一つが力になる。休憩地点では後輩芸人たちがコントを披露した。
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チャリティー募金は2023年8月27日午後8時時点で2億2223万8290円が集まった。
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ヒロミは1986年にB-21スペシャルを結成しコントが若者に大人気を博した。芸能界に入るきっかけはダチョウ倶楽部という。上島竜兵の訃報を聞いた時はびっくりしたと話した。亡き先輩への想いを胸にヒロミは走り続ける。
ヒロミは沿道の声援やサプライズの応援に力をもらいながらひたすら走った。6月に練習を始めた当初から2人の息子はヒロミと一緒にトレーニングを重ねてきた。松本伊代は3人が練習する姿に胸を打たれていたという。ヒロミは自分を追い込むためにトレーニングに息子たちを誘った。息子たちが幼かった頃はヒロミは10本以上のレギュラーがあり家族の時間がほとんどなかったという。
息子2人は父親の偉大さを目の当たりにした。大幅な遅れもなく順調に84kmの休憩地点にたどり着いた。ダイヤモンド・プリンセス号で712人が新型コロナウイルスに集団感染した。東京医科大学八王子医療センターでは患者の一部を受け入れた。ヒロミは地元・八王子の医療従事者のためにVTRを送ったという。VTRは新入職員を迎える入職式で毎年流されている。
国技館まであと12km。ヒロミは一旦芸能界から身を引き10年間は実業家だった。93kmの休憩地点は最後の休憩地点で、次から次へと友人が駆けつけた。声援で激痛をなだめ、いよいよここからが正念場。松本伊代は80年代のトップアイドルで松本がヒロミに一目惚れして結ばれたという。ヒロミは2000年代に入るとオファーが激減した。10本以上あったレギュラーも次々と打ち切りになりテレビから姿を消した。ヒロミはトレーニングジムを経営し第二の人生は実業家として成功したという。
ヒロミの妻・松本が登場。誰よりも心強い応援団という。国技館ではヒロミが作詞した曲・神様との約束が歌われた。国技館まであと5kmとなった。午後8時を過ぎて風が涼しくなるとヒロミには以前の走りが戻ってきた。