2024年11月2日放送 19:30 - 20:15 NHK総合

ブラタモリ
東海道“五十七次”の旅▼第一夜 京都・三条大橋から伏見へ

出演者
タモリ 佐藤茉那 
東海道 ”五十七次”の旅~行けばわかるさ 徳川の思惑~
京都・三条大橋から

今回は三条大橋からスタート。三条大橋はこと1月に改修を終え50年ぶりにリニューアル。案内してくれるのは山村亜希さん。三条大橋はリニューアルされたが古い部分も活用している。擬宝珠は1590年のもの。擬宝珠には日本の石柱橋としては初めてのものと書かれていた。橋をわたった所に当時の石柱が残されている。江戸時代に描かれた歌川広重の「東海道五十三次 京師 三条大橋」。橋脚部分は木製で描かれていた。実際は秀吉時代に石柱だったので、絵の時代も石の柱だったはずだという。東海道五十三次のスタートは江戸の日本橋。そこあkら53の宿場町を通って、三条大橋がゴール。江戸時代に徳川幕府が整備した東海道は「五十三次」とは別に、知られざる別ルートがあった。東海道文献延絵図を見るとゴールは大阪市中と描かれていた。そなると東海道は「五十七次」となる。今回は「東海道五十七次の旅 行けばわかるさ 徳川の思惑」。

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三条大橋東海道五十三次 京師 三条大橋歌川広重[2代目]豊臣秀吉高山彦九郎
(オープニング)
オープニング

オープニング映像。

東海道 ”五十七次”の旅~行けばわかるさ 徳川の思惑~
東海道 五十三次と五十七次の分岐点を目指す

タモリらは東海道五十三次と五十七次の分岐点を目指し進んだ。分岐点は三叉路になっていて、道標の文字を見ると「みきハ京ミち」「ひだり ふしミ」と描かれていた。かつてこの場所がどのような様子だったのかわかる江戸時代の絵を紹介した。江戸時代、このあたりで大人気だったお土産は?という問題。正解は「大津絵」だった。現代にも大津絵を描かれている職人がいる。

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大津絵
江戸時代の街道土産 大津絵

タモリらは大津絵師の高橋松山さんのもとを訪ねた。代表的なのは鬼の寒念仏。お守りや魔除け、夜泣き止めとして使われた。描くうえでも大量生産をして安く作らないと売れないので、庶民でも手が届くような工夫がしてある。型がありタモリが大津絵に挑戦し出来上がった作品を紹介した。

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スギちゃん鬼の寒念仏
徳川幕府の思惑とは?

なぜ東海道はこの分岐点で別れているか。東海道五十七次は京都を通らないところを選んだ。京都には天皇がいる。参勤交代で多くの大名が東海道を通る。もし京都から延伸させて大阪に向かうと大名たちは京都によってしまうことになる。徳川は朝廷と大名たちを接触させないようしたといわれている。

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天皇
江戸時代 京都・伏見はどんな宿場町だった?

タモリらは京都・伏見にやってきた。伏見にある京橋は江戸時代、荷上場だった。近くには宿屋があり、多くの人が行き交っていた。江戸時代、伏見宿の人口は2万人を超えていて五十七次の中では最大級の宿場だった。なぜ巨大な宿場町になったのかを調べるため、タモリらは観光船「十石船」に乗った。東海道ができる前、伏見には豊臣秀吉が伏見城があり、宿場町ができる前から大きな城下町だった。伏見と城下町を引き継いたのが徳川家康だった。家康は城下町に伏見宿を作った。

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徳川家康が京都・伏見に長くいた証拠を探す!

タモリらは徳永家康が伏見に長くいた証拠を探すため御香宮神社を訪れた。門の瓦の中央には徳川の紋章が入っていた。この門を寄進したのは家康の息子・頼房だった。

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京都・伏見から全国へ!?東海道グルメとは

伏見には東海道五十七次が出来たことによって全国に広がった名物グルメがある。それが練り羊羹だった。練り羊羹は日持ちするため、旅人はお土産に練り羊羹を買い全国に広がっていったという。

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伏見(京都)練り羊羹
(エンディング)
次回予告

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エンディング

エンディング映像。

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