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オープニング映像。本日は「名探偵コナン」の作者である青山剛昌のプロフェッショナルの姿に迫る。
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「名探偵コナン」の作者青山剛昌への密着は2023年5月に開始された。仕事場は自宅と兼ねている。この日は編集者と一緒にお昼をいただくところから始まる。そして番組について最初は断っていたがそんなに熱心に来るならと思って今回オファーを受けたと明かす。昼食後、仕事部屋へ移動。大量のお菓子を用意しており、何か噛んでると思いついたりすると話す。またゲーム内で潜水艦を作ったと行って取材スタッフに見せてくれた。青山が描く「名探偵コナン」は累計発行部数2億7千万部のミステリーマンガで30年105巻の連載はアニメ化、27本の映画化した。
この日編集者と話した物語の流れは「コナン」達に加え「服部平次」らが事件に巻き込まれるというもので続いて事件トリックを考えるため実験動画などを見て、自宅でも実験し確認。そして架空の寺で事件が発生するなど案が出されていく。青山らは仏具のお店へと移動し数珠の説明を受け、磁石製の数珠が散らばりそれをコナン達が見つけるという伏線を考えていく。名探偵コナンは少年漫画であるが難解なトリックが使われている。青山は「子どもは頭がいいので簡単に描いちゃうとなめられちゃう。難しいことでもちゃんと描けば楽しんでくれる」など話した。
翌日、物語のモデルにした山へ取材へ向かった。その場でしか得られない情報を探し、またそこで知り合った人にサインを描いたりと常に穏やかでサービス精神溢れる青山であるが、マンガを描く現場の撮影は遠慮して欲しいと話した。オファーの時から描き方は謎にした方が言いなど話していた。そして、1ヶ月半が経った7月、3話分48ページの原稿が完成していた。この間、外出はしていなかったという。
取材した時に完成した漫画から青山剛昌のこだわりがわかる。冒頭のシーンで「毛利小五郎」が階段で疲れているシーンは青山が実際に階段を登って参考にした描写。人魂トリックも作中で説明している他、数珠も自身で磁石を買って制作していた。別の日、イラスト修正をしていた青山。世界中から関連商品や企画が持ち込まれておりその数は年間数千点以上であるが細部までチェックし自分で修正を加える。カラー作業についてパレットはずっと洗わずに使用しており青山は「洗うと何かが落ちてしまう気がして」など答えた。
8月、ネームを撮らせて欲しいと交渉。無人カメラなど人が一切立ち入らないことを条件で記録することが許された。ネーム作りをする前に大まかな物語とトリックを練る。この日の物語は金庫ないに入ったコナンが怪盗キッドと死体を発見しキッドを新一に変装させて真犯人を追うというもので光の屈折を使ったトリックを使用するなどを決めると青山は編集者を帰らせた。この日はソファに寝そべり2時間ほど過ごす。青山は事件が始まったら10本ぐらいのラインがあり、そこから1本ずつ選んでいく感じで途中まで行ってこれまずいなと思ったら違う方に行ったりするという。時にはこうしながら6時間近く考えるという。
仕事部屋に移動すると大まかな設計図「ラフ」を描いて物語を組み立てる。ラフをもとにネームを練っていき、最も伝わりやすく描いていく。ネームづくりに入ると外との関わりを絶ち、徹夜もじさないという。3日目ラブコメのシーンを描く青山は新一が毛利蘭にどんな言葉をかけるのかを考えた。最後の1ページ、怪盗キッドを追う探偵が工藤新一を疑うというシーンを描いた。ネームが完成したらすぐに担当編集者に見てもらう。その後ペン入れを行い連載4話分64ページが完成するまで2カ月。青山は7年前から連載を半分に減らしたがそれでも1日18時間、描き続けて37年間続けてきた。青山は「毎回毎回前の自分を超えたい、俺以外の人がどんなすごいミステリー描いても何とも思わない」など話す。
2023年夏、兵庫県へと向かっていた。この日青山の先輩で「タッチ」などの作者であるあだち充と高校野球を観戦。あだち充に描く時に意識していることについて聞くと「基本的に読者を気持ちよく裏切りたいというのは昔から」など話した。
鳥取・北栄町で生まれた青山剛昌は小学生の時に夢中になったのが「名探偵ホームズ」。人をワクワクさせるものを作りたいと思い当時からの武器である「絵」でいつも周囲を驚かせていた。母の美智子は「普通はお母さんの顔って前から見て描くが、とても忙しくて後ろ姿を描いてすごく先生から褒められた」など話す、父の泰陸も「喜んでもらうことばっかり考えとったようですわ」と話す。高校2年生の時、剣道部のランニング途中で日本海を見て綺麗で「この波、描きたい」と思い、剣道部を辞めて美術部へ入部。高卒後は上京し大学で美術を学び、漫画研究会で研鑽。当時について周り皆上手くて何が楽しかったか分からないぐらい楽しかったという。
青山の才能はすぐに出版社に目に止まり、持ち込みを始めて2年23歳の時にプロデビュー史連載を開始。さらに短編の依頼も次々とされあっという間に仕事量が増加。当時について全然間に合わないから死んでたやコミックス化で直したが「まじっく快斗」が手抜き状態だったなど話した。もう2度とファンを裏切らないと自分をさらに追い込む。30歳の時ミステリーもののオファーが入り、難しそうと思ったがホームズが好きだったことを思い出し生み出されたのが「名探偵コナン」だった。あっという間に人気となったが3時間しか眠れないなどさらに青山を追い詰めていった。自分が描きたいものが描けているのか考える時間もない日々、それでも喜んでもらいたいと思い描き続け、殺人的スケジュールの合間を縫い、映画の脚本に手を入れ、原画を描いたりした。映画は大ヒットし毎年のように新作が熱望されるようになった。
しかし、限界は訪れ2015年青山は長期入院が余儀なくされる。名探偵コナンの連載が始まって21年、初めての休止となった。当時について「死んじゃったら嫌だなというのもあんまりない無の状態だった」など話した。それでも、どうしても残したい物語があり、気づいたらペンを握っていた。その物語は新一と蘭の出会いの物語だった。幼い2人に振れ、始まりから終わりまで初めて自分が描きたい思い描いたふうに描け、子どもの気持ちを忘れたらダメだなと思ったなど話した。さらに数え切れないほどのファンレターが届き、その言葉の数々が退院した青山の背中を押した。仕事のペースを半分ほどに抑えるが読者にとっての宝ものをつくるという思いは強めた。連載を続けられた理由を聞くとここまでくるとファンのためしか思えないなど話した。
舞台挨拶にやってきていた青山剛昌。コナンの連載開始してから30年、次の作品が重要な回になると考えていたが、制作は難航していた。30年の間でトリックは出し尽くしており自身のハードルも上がっていた。編集者と打ち合わせを開始1時間、文字とかを使わずアルファベットを表現する暗号の資料を参考に描くが驚きが足りないとさらに考える。すると先程確認した鳥のように羽ばたく紙飛行機を折って、飛ばすと使いたいと子供心が疼き物語に組み込むことができないかと考える。
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青山は制作の合間に新人たちの作品の審査を行っていた。審査の作品について親目線で見ているなど話した。また人それぞれなので言う通りに描いても面白くなるかどうかは分からんなど話す。11月ネームが完成、猫が紙飛行機を鳥と間違えて加えており、その紙飛行機にはSOSが書かれ、警察と組み救出劇が繰り広げられるという物語だった。1人部屋にこもり後半のネームを描く、紙飛行機の折り方を描き、そこから犯人の人物像を描いてく。完成したネームを担当者に読んでもらい、「安室透」について読者は信じ切ってしまっているため緊迫感をより増すことができないかという話をし盗聴場を喫茶店から車に描き変えた。
日を追うごとに追い込みの鋭さは増していく。パソコンでは人の目では判別できない修正を繰り返し行っていく。青山は「つらいのが楽しいより勝っちゃったら辞めちゃいますね。今楽しい方が勝っているので大丈夫」など話す。そしてラストの工程であるペン入れを行った。構想から2カ月、30年目のスタートを切る物語が完成した。1月、地元へ訪れファンの前に登場しサインを描いたりした。そんな青山にとってプロフェッショナルとはと聞くと、「俺のことをプロフェッショナルと認めてくれるならどんな窮地に陥ってもその状況を面白がれる人」など話した。
プロフェッショナル 仕事の流儀の次回予告。
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