- 出演者
- 有馬嘉男 森花子 高木義秀 山田英明
手術室に1歳の男の子がやって来た。心臓に異常が見つかり生まれて2度目の手術となる。心臓病の子どもは何度も手術しないといけないことが多い。心臓や血管の穴を塞ぐパッチは伸びないため、心臓の成長に合わない場合、交換する必要がある。新たに開発された心臓・血管修復パッチは成長と共に伸びる魔法のパッチになるのでは?と期待されている。生み出したのは医師、町工場、大手繊維メーカーという異色のチームだった。
オープニング映像。
今回は子どもの心臓病に使われる医療用パッチ。去年承認が降りたばかり。生まれたばかりの赤ちゃんの心臓はほぼピンポン玉と同じサイズ。成長すると約8倍になる。この成長に合わせて体内で伸びでいくことを目指して開発されたのが、今回のパッチだった。
2011年、大阪に手術におわれる1人の医師がいた。根本慎太郎は正確なメスさばきで小さな心臓たに立ち向かっていた。悩みは再手術に苦しむ患者だった。パッチの交換で何度も負担をかけることが心苦しかった。根本は次男の諭くんを腎臓がんで亡くしていてた。8歳までに手術を9回して亡くなったという。病と戦った我が子に胸をはれるように根本は伸びるパッチの開発に挑むと決意した。まず最初に共に開発するメーカーを探した。何十社と電話してもリスクが大きいと断られ続けた。そんな中、ある新聞に目が止まった。福井の町工場が技術力を活かし医療分野への挑戦をはじめたという。根本は工場を訪ねた。出迎えてくれたのは繊維一筋の高木義秀だった。高木義秀は新たな挑戦をしないと生き残れないと思っていたので根本の依頼を受け入れた。開発を任されたのは、山田英明。山田は1993年に入社。しかし大企業に務める友人との差に落胆していた。やりがいを見いだせずにいた時、上司の竹村吉崇に面白いものを見せてやると声をかけられた。サンプル室に連れていかされ10万点の生地を見せてもらった。糸の種類や網目の設計、ほんの僅かな違いで、柄も手触りも伸び方もすべてが変わっていた。山田は無限の可能性に気付かされ自分だけの編み方を生み出したいと思った。山田は心臓パッチへの挑戦に磨いてきた技術を注ぎ込むと決めた。
2013年8月、第1回開発会議が開かれた。根本は縦横2倍に伸びる生地を作ってくれと求めた。開発メンバーたちは耳を疑った。心臓などを治療する機器は約7割が海外製。リスクが高く時間もかかる開発は大手企業もほとんど手を出してこなかった。
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よく挑戦することができましたねと聞かれ高木義秀は「大体の先輩や社長は止めたほうがいいといった。でもここを頑張らないと、若い社員がいっぱいいるから、家族もいるから助けないといけないと思った」などと話した。高木は根本の手術を見て完璧なものを作りたいと思ったという。
2013年、縦横2倍に伸びる生地の開発が始まった。山田は溶ける糸に着目した。薬剤に溶ける糸と解けない糸の2種類で生地を編み部分的に溶かして透かし模様をつけるという。これをオパール加工という。さっそく設計を考え施策をはじめた。しかし一回りしか伸びなかった。月に一度の試作チェックで毎回、厳しい意見が飛んできた。ある日、定年退職した上司の竹村吉崇が訪ねてきて「新しいことできていいな」と言われた。山田はサンプル室にもう一度行き、生地を片っ端からめくっていった。そしてあるサンプルに目が止まった。メッシュ生地をみてハッとした。生地を伸ばすのではなく縮めればよいのでは?と思いつき、再び試作をはじめた。
2014年2月、山田はついに求める編み方にたどり着いた。糸を溶かして引っ張るとメッシュへと変形し伸びで行く。目指していた縦横2倍を達成した。しかし、このまま心臓に縫い付けると血が漏れることが分かった。
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山田英明が作った生地をスタジオで紹介した。山田英明は「やっとできたって感じだった」などと話した。生地はできたが、次の課題は血を漏らさないことだった。
血が漏れるという新たな課題。高木義秀は業界トップの帝人に逆提案を持ちかけた。この生地をコーティングし血を漏らさないように出来ないか頼んだ。話を聞いた藤田顕久は心臓はリスクが高いとためらった。しかし高木は食い下がった。思いを聞き帝人は逆提案を受けた。そしてこのプロジェクトに80人近い社員を投入した。その1人、河野一輝はどうしてもやり遂げたい理由があった。河野の妻・梓は先天性の心臓病だった。妻のように苦労をする子どものための仕事は夫婦の願いだったという。求められたのは1適も血を漏らさないことと、柔らかく体に馴染むことだった。河野は試作を繰り返し160個目の試作品で成功。2019年、ついにパッチが完成した。
最後の関門は臨床試験。30人以上の患者に手術を行い1年間、何も問題が起こらないことが必要。最初の手術は岡山で行われることになった。生後4ヶ月の稲田優陽くん。臨床試験を提案された両親は戸惑った。両親は覚悟を決め臨床試験に参加した。執刀医は凄腕医師の笠原真悟。手術は無事成功。こうして33人が臨床試験に参加。2021年12月、知らせが届いた。34人の患者全員が成功。無事に1年を超えた。パッチの販売が正式に承認され12年越しの夢が叶った。根本はこの成功を亡くなった息子に伝えた。大仕事を成し遂げた開発チームは国や繊維業界から表彰された。
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高木義秀は「絶対にうまく行かないと思われていたので。福井の繊維が勝ち残っていくのを願っている」などと話した。成し遂げられたのはなぜ?と聞かれ山田英明は「うまいこと、みんなで割り振ってやっていけた。チームの力なのかなと思います」などと話した。
最初の臨床試験を受けた稲田優陽くんは今年、5歳になった。体重は生まれた日から5倍になった。それでもあの日から一度も手術を受けていない。1つの夢を叶えた3社は今、新たな夢に挑んでいる。さらなる開発を世界中の子どもたちに届けようとしている。
エンディング映像。
次回予告の番組宣伝。