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オープニング映像。
第二次世界大戦を追体験する4回シリーズの第3回。今回は1942年から1944年までを特集。ドイツの日本は敗走を重ねて、戦場は泥沼化して情勢は市民の暮らしへ届いた。
1942年7月。ドイツは膠着すソ連との対決を打開するためにスターリングラードへ狙いを定めた。そこでドイツ軍が迫る中で撮影されたスターリングラード市内の映像が流れた。町には60万人余りが住んでいたが人間の盾にするために批判を許さなかったという。激戦を行っているソ連にアメリカが武器や物資を提供し、厳しい冬が訪れるとソ連軍が大攻勢を仕掛けてドイツ軍を孤立させた。
その頃、太平洋では日本とアメリカの形勢を逆転させる契機になるガダルカナル島の戦いが始まった。基地建設をしようとした日本は不意打ちで上陸したアメリカに主導権を奪われた。その後、日本は反撃部隊を出してガダルカナルは激戦地になっていった。日本軍は戦闘開始から半年後に島から撤退し、死者は2万人になり、半数以上は餓死だったという。
スターリングラードでは籠城していたドイツ軍の最後の部隊が降伏した。9万人が捕虜になり、死者は少なくとも50万人になると言われていたという。ドイツは東部戦線の主力部隊を失った。この敗北はヒトラーを動揺させて、ヒトラーは別荘に引きこもるようになった。
この頃、連合艦隊司令長官の山本五十六が戦死した。日本軍はこの死を戦意高揚に利用したという。1943年5月に日本軍が占領したアッツ島にアメリカ軍が奇襲攻撃を仕掛けた。アメリカは島の奪還に成功し、多くの日本軍の兵士が亡くなった。戦死者の増加は徴兵を憂慮されていた学生たちにも銃を取らせた。
1943年3月。ドイツではヒトラーが負傷兵を国家の英雄として称えたが、ドイツは東部戦線で敗走を重ねていた。ソ連軍はキーウを奪還し、ドイツは町を破壊しながら撤退していった。9月には同盟国だったイタリアが降伏を宣言し、ムッソリーニは逮捕幽閉された。そうした中でテヘラン会談が行われたという。
その頃、太平洋でもアメリカ軍による大規模な上陸作戦が準備されていた。ターゲットはタラワ環礁。ただ日本の防備は厳重で、そうした中でタラワ環礁で日本とアメリカは戦った。戦闘開始から3日でアメリカはタラワ環礁を占領した。ただアメリカ海兵隊の死者も多かったという。その後はアメリカからイギリスに多くの若者が渡って、ドイツとの戦いに備えた。一方でドイツも連合国軍の上陸を想定して守備を固めていた。そして連合国軍はノルマンディーから上陸していった。ただ船を降りた瞬間からドイツ軍の集中砲火を浴びた。そして4500人の死者と6000人の負傷者を出した。
連合国軍の兵士たちはフランス上陸を果たすことができ、そこで廃墟になった町を見たという。これは事前に連合国軍が沿岸の街を爆撃していたからだという。この爆撃で仏蘭西の民間人3万5000人が死亡したという。
ノルマンディー上陸作戦の9日後、太平洋ではサイパン島の戦いが行われていた。アメリカ軍は火炎放射器やロケットランチャーなどを導入して、アメリカは島の全土を制圧した。テニアン島には民間人もおり、多くの子どもが投降し、そのための学校も作られたという。1944年にサイパン島陥落の責任を問われて東條英機は辞職した。そして本土でも空襲に備えた防空訓練が本格化した。
1944年のドイツ東部ではドイツ国民全員戦闘態勢という状況になっていた。ソ連とイギリス、アメリカが迫っている状況で、ベルリンでは市民がバリケードを作っていた。ドイツへの空爆も増えて、多くのドイツ人が空爆で亡くなった。
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- ベルリン(ドイツ)
サイパン島の米軍基地にはB-29の乗組員が集めれていた。日本への空襲はサイパン陥落後に激しさを増して、少なくとも38万人が犠牲になったと言われているという。
エンディング映像。
番組の次回予告。
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