- 出演者
- バカリズム 林修 斎藤ちはる 筒井真理子 菅田将暉 宮崎香蓮 伊沢拓司
「ヤマダデンキ LABI 藤沢」の紹介。ヤマダデンキでは日本最大級の家電の品揃え。おもちゃ・ゲーム、リフォームなどの商品も豊富にそろえている。JR藤沢駅すぐ目の前にある。
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今も日本各地に昔風情の町並みが残る城下町がたくさんある。そこで、今行くべき城下町をランキング形式で発表。歴史のプロが選んだ!今行くべき城下町BEST15を紹介する。さらに、歴史のプロだからこそ知っている、城下町のひと味違う楽しみ方も紹介する。
全国城下町ランキング15位は福岡県の柳川城下町。戦国時代にこの地を治めていた立花宗茂は豊臣秀吉に仕えた戦国武将。柳川城の最大の特徴は複雑に張り巡らせた水路で、現在も昔の姿を残している。
全国城下町ランキング15位は福岡県・柳川城下町。おすすめスポット1つ目が水路巡り。約1時間船頭の話をききながらゆったり巡ることができる。2つ目は立花宗茂ゆかりの施設。料亭・旅館御花は立花家が代々住んでいたお屋敷である。宿泊客以外も見学できる。料亭ではうなぎのセイロ蒸しが食べられる。大広間の料亭には兜が並んでいて立花宗茂が戦場で自分の家臣たちに配っていたものだという。
今行くべき城下町ベスト15。14位は弘前城下町。津軽信枚が築城したものである。サワラの生垣があり弘前を代表する城下町の景観となっている。江戸時代に作られたもので、金銭面を考慮し生垣を植えたものと考えられる。
歴史のプロが選ぶ!今行くべき城下町ベスト15。13位は郡上八幡城下町。郡上八幡城下町には水路が張り巡らされた町並みがある。この用水路は火事に対する備えとして整備されたのがはじまりだという。
歴史のプロが選ぶ!今行くべき城下町ベスト15。12位は伏見城下町。秀吉が亡くなった地とされている。行って楽しい場所の1つが袮ざめ家。名物はうずら焼き。駅前には駿河屋がある。名物は太閤秀吉献上羊羹。もっちり食感で甘さすっきりだという。また桃山町正宗など約80の武将にちなむ地名がある。
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歴史のプロが選ぶ!今行くべき城下町ベスト15。11位は近江八幡山城下町。安土城城下町に住んでいた多くの商人を豊臣秀吉が移住させたのが近江八幡山城下町。楽しむことができる歴史スポットが堀を屋形船で遊覧できる八幡堀めぐり。また信長ゆかりのお土産が赤こんにゃく。城下町の楽しみ方は松の木。松の木は見栄えするようにお迎えの気持ちを表しているという。
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歴史のプロが選ぶ!今行くべき城下町ベスト15。10位は岩村城下町。岩村城は標高717メートルで日本一高い場所にあった城。鎌倉時代に築城された。城下町には全長1.3キロメートルの古い町並みが広がっている。岩村城下町のグルメは松浦軒本店のカステーラ。江戸時代から変わらない作り方だという。また岩村城下町には無料で開放されている屋敷の勝川家があり江戸時代に暮らしていた人の家に入ることができる。岩村城下町の楽しみ方は岩村醸造の中庭にある天正疎水で戦国時代の都市計画の痕跡が見られる場所だという。
GWに行って楽しい城下町BEST15。9位は彦根城下町。城下町には江戸時代から残る多くの建物がある。江戸時代のメインストリートは夢京橋キャッスルロードと名付けられ江戸時代の雰囲気を味わえる。昼に行列ができるのが近江や。本場の近江牛を味わうことができる。
城下町クイズ「彦根で金仏壇づくりが盛んになった理由は?」、正解は「平和になって甲冑職人が仏壇作りに転職」。彦根の甲冑は井伊の赤備えと言われ当時から美しい甲冑としても有名。腕のある職人が仏壇作りで腕を振るい金仏壇が盛んになった。大和田先生イチ押しは、足軽の屋敷。彦根には足軽の屋敷が多く残る。当時、足軽が敵を食い止める役目を負っていた。
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歴史のプロが選ぶ!今行くべき城下町ベスト15。第8位は江戸城下町(東京都)。城下町の広さとしては北は水道橋駅、南は新橋駅辺りまでと日本最大。大都市東京で江戸城下町を今も感じることができるスポットとして、徳川林政史研究所の藤田さんが注目してほしいと語るのは門と石垣。赤坂見附や四ツ谷駅の近くには道路脇に石垣が残っているが、これは江戸城の門の跡だそう。江戸城の門跡は36個残っているといわれ、日本武道館の門も武道館と一緒に建てられたわけではなくそれより古い江戸城の門の跡だという。
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歴史のプロが選ぶ!今行くべき城下町ベスト15。第7位は名古屋城下町。東京駅から一時間半かけて名古屋駅へ。名古屋城下町は関ヶ原の戦いで西軍の豊臣勢に勝利した後に徳川家康の命令で名古屋城が完成した、観覧料を払えば5年前に150億円かけ復元された本丸御殿を見ることができるという。そんな名古屋城とともに家康は自ら指揮を取って城下町を形成した。徳川義直が初代藩主となり、尾張徳川家が名古屋の街を治めた。林修と伊沢が探索する金シャチ横丁は名古屋観光の新名所になっているという。江戸時代の城下町を再現した場所に名古屋の老舗・有名店が集まる。さらに土産やのえっさほいさには35分の1サイズの純金の鯱が。また違う土産物屋には実物大の金の鯱を置いている。
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城下町の楽しみ方を紹介。木村有作は徳川家康の作った城下町の痕跡を歩いて探すことが醍醐味だという。その痕跡をたどると名古屋が大都市になった理由がわかる。オフィス街に佇む桜点神社があるが注目するのは立地。家康が整備したとされる名古屋城下町の古地図にはこのエリアは碁盤の目のようになっているが現代とほぼ一緒。区画の真ん中に神社やお寺が多くあるという。家康のまちづくりと深い関係があるという。正方形の区画になっていて東西南北全てのとおりに家の出入り口を向けたという。どの通りも人が出入りし街全体が活性化し商人の町になっているという。家康の狙いは名古屋城下町を経済的に反映させることだっった。それぞれの区画の中心にお寺や神社があった。お寺や神社は町民たちの交流スペースで商売が円滑になったと言われる。さらに河文という江戸時代からつづく料亭があり、尾張徳川家御用達のご馳走処として名を馳せた料亭で相形から変わらぬ手法で作られた。また料亭の中に井戸があり、この井戸は名古屋城とつながっているという。現在は塞がれているがその距離は1キロにもなるという。
第6位は静岡県静岡市の駿府城下町。駿府城は家康が44歳の時に築城した。家康は76年の生涯のうち24年間は一番長く駿府で暮らした。駿府は家康ゆかりのスポットがいくつもある。駿府城公園は城の発掘現場を見ることができ、静岡浅間神社では期間限定でイベントも開催。さらに家康の大好物があり石部屋では安倍川餅が食べることができる。さらに駿府には浮月楼があるが、風情のある中庭が広がるが徳川慶喜が住んでいてこの庭を作らせた。また金座町では金貨を作っていた場所。家康がここで作らせていた理由には平安から戦国時代は中国のお金を使っていたので家康が日本独自のものとして小判を作り始めた。その後江戸にうつったがその地には日本銀行 静岡支店があった。