2024年12月3日放送 23:50 - 0:35 NHK総合

歴史探偵
平安武士と蝦夷

出演者
渡邊佐和子 佐藤二朗 河合敦 
(オープニング)
今回は...

今回は戦の民、蝦夷を特集する。

オープニング

オープニング映像。

(歴史探偵)
スタジオトーク

今回、平安時代において武士の成立に影響を与えた人物を調査する。東北では多くの合戦が起きていた。

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蝦夷
平安武士と蝦夷

8世紀、東北地方で狩猟を生業にしていた人々は蝦夷と呼ばれた。蝦夷のリーダーがアテルイで、朝廷と戦いを繰り広げた。古墳群からは鉄製の矢じりが見つかり、形状からして殺傷能力が高く、毒を塗って使っていたという。さらに馬術も巧みで、朝廷の歴史書には「蝦夷1人の強さは朝廷の兵士十人に相当する」と記されている。789年、朝廷は蝦夷を討伐するため、東北に軍を派遣した。アテルイは北上川の東側に朝廷軍を誘い込み、深追いしてきたところで、山林から伏兵が姿を見せた。朝廷軍は大敗し、6000人のうち1000人以上を失ったという。

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スタジオトーク

蝦夷は小さな部族で分かれて生活していたが、大規模な組織にまとめあげたのがアテルイだった。都の貴族たちはアテルイを畏怖し、後世、鬼を引き連れてアテルイが東北を暴れまわる伝説が生まれたという。

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アテルイ
平安武士と蝦夷

平安時代の武将で、肉体にも恵まれたという坂上田村麻呂は朝廷から蝦夷攻略を命じられた。だが、討伐ではなく宴会を催すことで、アテルイと蝦夷を分断して力を削ごうとした。アテルイの領地のすぐそばには城塞を築き、軍勢は10万にまで膨れ上がったという。802年、アテルイは降伏し、京都にて斬首された。

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スタジオトーク

アテルイの降伏後、坂上田村麻呂は「他の蝦夷を懐かせるため、アテルイを故郷に戻すべき」と朝廷に具申していた。東北を治める上で、蝦夷をまとめあげたアテルイの影響力は計り知れないと考えたとされる。だが、朝廷はアテルイを斬首した。

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アテルイ坂上田村麻呂
平安武士と蝦夷

坂上田村麻呂の遠征により、朝廷の支配下に置かれることになった蝦夷は故郷を追われ、全国各地に強制移住させられた。全体の3割近くは関東へ。騎射の技術を買われ、賊を取り締まる警察の役割を与えられた。関東に移り住んだ天皇の子孫たちは蝦夷を配下に加え、武力を手にすることとなった。11世紀、清和天皇の血を引く源氏の棟梁、源義家が名を馳せた。騎射を得意とし、その腕前は神の如しと称えられた。騎射の技術の1つに「八的」がある。馬を走らせながら、8つの的を射抜くもので、流鏑馬の的よりも多い上、的のサイズは約17分の1。

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朝廷によって征服された東北だが、蝦夷が再び力を取り戻した。1051年、源氏は東北へ遠征し、リーダーを攻め滅ぼすことに成功した。

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スタジオトーク

武芸に秀でた源義家の父は東北の国司を務めていて、蝦夷のリーダーが攻撃を仕掛けたので滅ぼしたと朝廷に報告し、褒美を獲得した。番組では平安時代の研究者8人に「どの国の国司になったら、儲かる?」をインタビュー。多くが播磨を挙げたが、時点は陸奥。つまり東北である。1位を陸奥にした関幸彦氏は「圧倒的な面積の広さを誇り、田畑収入が多い」、桃崎有一郎氏は「砂金と名馬の最大の産地。辺境なので搾取しても朝廷から咎められる可能性は低い」などと話す。河合敦氏も1位を陸奥にし、「国司は一定の税を朝廷に納めれば、あとはもうけ放題。一攫千金を狙うんだったら、いろんな産物がある陸奥」と語った。

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平安武士と蝦夷

源氏と蝦夷が戦った前九年合戦で、藤原清衡の父親は囚われの身となり、源氏は苦痛を長引かせるために切れ味の鈍い刀で斬首した。約20年後、蝦夷同士の争いが勃発。朝廷に働きかけ、介入を試みたのが源義家。藤原清衡は父の仇敵ともいえる源氏に従い、籠城戦には兵糧攻めで対処した。女性や子どもたちが降伏を申し出るも、源氏は鏖殺した。主だった敵将は首を刎ねられ、晒された。藤原清衡は道長の孫にして、関白だった藤原師実に金や馬などを献上し、義家が陸奥守にならないよう工作した。清衡は中尊寺建立に際して、「戦で亡くなった者は数え切れない。そのすべての霊を浄土に導いて下さい」と供養文を奉納した。

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スタジオトーク

佐藤二朗は源氏に関わると痛い目に遭うことを強調した。藤原清衡、基衡、秀衡によって東北に100年の平和、繁栄がもたらされた。清衡は中尊寺、基衡は毛越寺、秀衡は無量光院と仏教の寺を建立させた。河合氏は「『戦争はしませんよ』とアピールする一方、『奥州はこれだけの力がある』と伝えたい気持ちがあったのかもしれない」と語った。

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(エンディング)
次回予告

歴史探偵の次回予告。

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