- 出演者
- 佐藤二朗 片山千恵子 大島丈志
今年、宮沢賢治の童話集が出版されて100年を迎えた。傑作と謳われる「銀河鉄道の夜」は宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」に影響を与え、米津玄師は作品の登場人物をテーマにした楽曲を制作した。今回、宮沢賢治の世界を調査する。
オープニング映像。
宮沢賢治のプロフィールを紹介。28歳の時に「銀河鉄道の夜」の執筆を開始し、同年に「注文の多い料理店」を出版。結核のため、37歳の若さで死去する。生前は無名の作家で、「銀河鉄道の夜」が人気となったのは戦後だという。
宮沢賢治の死後、遺族は未完に終わった「銀河鉄道の夜」の原稿を発表し、戦後になって評価が高まった。作品では主人公のジョバンニ、友人のカムパネルラが星座にちなんだ場所をめぐるが、カムパネルラは故人だったことをが判明する。岩手・奥州市には全世界に6ヶ所だけ設けられた緯度観測所の1つがある。星が好きだった宮沢賢治は度々、足を運んだといい、天文現象を「銀河鉄道の夜」の物語に反映させていた。天文学の専門書を通して、最先端の宇宙科学も知り得ていたという。番組では国立天文台から最新の観測データを入手し、宇宙空間をCGで再現した。天文学者の渡部潤一教授は宮沢賢治の大ファンで、星と作品の関わりを研究している。キリスト教の象徴である十字架から十字架への旅が描かれているという。
宮沢賢治は花巻市出身で、VTRに登場した緯度観測所は奥州市にあるが、そこまで宿泊を挟んで歩いていったとされる。それだけ好奇心旺盛な上、乗り鉄の一面もあったという。大島丈志教授は「銀河鉄道の夜」について、「生と死の狭間の世界が舞台で、誰もが直面する普遍的な死というテーマに切り込んでいる」と語った。同作は宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」に影響を与え、米津玄師はカムパネルラらへの思いを綴った曲を発表している。
宮沢は質屋を営む裕福な家庭で育ち、プロの演奏家からチェロのレッスンを受けていた。ベートーヴェンの大ファンで、「田園」が好きだったという。腕前は今ひとつだったとされるが、夜中まで演奏に没頭したといい、その経験をもとに童話「セロ弾きのゴーシュ」を発表。18歳の時、鼻炎の手術のため入院。脈拍を測ってくれた看護師の女性に恋し、両親に結婚への思いを口にするが、すげなく却下されたという。そんな宮沢にはよき理解者で、2歳年下の妹・トシがいたが、24歳の若さで逝去。のちに宮沢は痛切なる悲哀を綴った詩「永訣の朝」を発表している。トシは今際の際、病苦に苛まれる人生ではなく、他者の役に立つことができるよう生まれ変わりたいと望んだという。
最愛の妹の死がきっかけとなって、宮沢賢治は「銀河鉄道の夜」の執筆を始めたという。登場人物、カムパネルラのモデルの1人はトシとされている。最晩年に執筆したのが「雨ニモマケズ」。
宮沢賢治の遺品の手帳には岩手が抱えていた問題、冷夏の記述がある。太平洋から吹き付けるやませの影響で、夏でも最高気温が20℃を下回り、今でも稲が育たなくなることがある。凶作地の農村では餓死者が出た他、人身売買を目的とした誘拐が横行したと文献に記されている。宮沢は30歳の時、教師をやめて農業の世界に飛び込んだ。寒冷地でも育つ野菜、花を栽培して売り、土壌学を学んでいたことから、肥料について農家に指導した。だが、農家にとっては初期投資が必要だった上、暴風雨が稲を襲った。そして、宮沢は最愛の妹と同じ病気、結核を患う。病状が悪化するなか、自らの願いなどを綴ったのが「雨ニモマケズ」だった。
大島丈志氏は宮沢賢治について、魂を燃やし、全力で活動、創作に没頭したと話す。「雨ニモマケズ」はあくまでもメモとして手帳に記されていたが、今では名作として語り継がれている。大島氏曰く、宮沢賢治の魅力は語り尽くせないという。
「歴史探偵」の次回予告。