2024年11月5日放送 23:50 - 0:35 NHK総合

歴史探偵
家康 幻の江戸城

出演者
佐藤二朗 片山千恵子 千田嘉博 
(オープニング)
今回は...

幻となった江戸城が築かれた当時の絵図が発見された。徳川家康は度重なる戦いのなかで何を学び、どのような城を築いたのか。

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徳川家康
オープニング

オープニング映像。

(歴史探訪)
スタジオトーク

現在の江戸城は皇居で、佐藤二朗は皇居ランナーをよく目にするという。江戸城は何度も拡張・改修が行われ、日本史上最大級の城となっていく。実は東御苑にはかつて、幻の江戸城が存在していた。築城したのは徳川家康。

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戦国の集大成 家康の江戸城

松江藩松平家の家臣の家に「極秘諸国城図」が伝わっていて、城の平面図はのべ74枚。「江戸始図」には羽柴姓の大名の名が記され、豊臣家が健在だった江戸初期と考えられるという。大河ドラマ「真田丸」で城郭考証を担当した千田嘉博氏は江戸始図を目にした時に衝撃を受けたという。防城や挟撃などに優れた「馬出し」が3つ作られ、敵襲の際に十字砲火を浴びせることができる「外枡形」は5か所にのぼり、天守は連立式。千田氏は連立式天守を「1つの独立した要塞」と表現する。番組では江戸始図をもとに家康の江戸城をCGで復元した。

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スタジオトーク

江戸時代初期、豊臣家は健在で大阪城には豊臣秀頼がいた。徳川家康は有事に備え、敵襲に耐えうる江戸城を作り上げたという。千田氏は「織田信長、豊臣秀吉に匹敵しうる名築城家」と家康を評価する。

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戦国の集大成 家康の江戸城

武田家は築城に優れ、多くの城で馬出しが築かれていた。長篠の戦いで武田軍に勝利した後、家康は小山城を攻めるも、落城させることはできなかった。そこで家康は武田流の築城術を自らの城に取り入れ、岡崎城には馬出しを2か所設けた。さらなる発展版が江戸城の3連続馬出しといえるという。また、織田信長が築いた安土城には外枡形が3つ連続してつくられていたといい、「信長公記」によると、家康は安土城に招待されていた。この時、家康は外枡形を目にし、自らの城に導入したと考えられるという。

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スタジオトーク

長篠の戦いで武田軍に勝利した家康は武田家の築城術を取り入れ、さらなる発展版も案出したが、織田信長は取り入れなかったという。千田氏は家康について、自分に無いものを取り入れようとする点に謙虚さを感じていた。天守については有事において、実用性を備えた道具であるべきと考え、連立式天守を考案したのかもしれない。

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戦国の集大成 家康の江戸城

駿府城では天守が櫓で囲まれた構造となっていて、松下高之氏は「特徴的な城をつくったのは家康ならでは」と語った。

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敵であろうとも優れた築城術は取り入れた家康だったが、没後、江戸城では建て替え工事が始まる。天守は15年しか存在しなかったという。

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戦国の集大成 家康の江戸城

江戸城の天守が完成してから3年後、名古屋城の築城がスタートした。だが、家康は小天守の建設を中止にしてしまった。太平の世を掲げる上で、城の防衛力を高めるというのは理にかなわない。豊臣家の滅亡後、幕府は戦を起こさない政策を打ち出す。武家諸法度では城の新築は禁じられ、修理にも制限がもうけられた。江戸城では馬出し、外枡形、連立式天守が尽く取り壊された。

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スタジオトーク

1650~70年代の江戸城の平面図に着目すると、馬出しはなくなり、外枡形はシンプルに、連立式天守はコンパクトになっていた。新たに生まれたスペースには本丸御殿が建てられた。政務を行ったり、将軍の妻子が生活していた。千田嘉博氏は「武力ではなく、政治の力で治めていく江戸城に生まれ変わった」と話す。スタジオでは城のどこに惹かれるのか、片山アナは石垣の勾配、秋鹿アナは破風を挙げ、千田氏は「目の付けどころがよい」と吐露した。

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(エンディング)
次回予告

「歴史探偵」の次回予告。

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