2024年10月29日放送 23:50 - 0:35 NHK総合

歴史探偵
日本人とごはん 2000年の秘密

出演者
佐藤二朗 河合敦 片山千恵子 
(オープニング)
今回は...

今回は日本人とごはんの歴史を特集。弥生人が食していた太古のご飯とは?古墳時代に起きた大きな変化とは?

キーワード
連続テレビ小説 おむすび
オープニング

オープニング映像。

(歴史探偵)
スタジオトーク

佐藤二朗に「日本で盛んにご飯を食べるようになったのはいつ?」と出題され、佐藤は「弥生時代」と即答して正解。ただ、弥生時代、どのようにご飯を炊いていたのか、大きな謎とされてきた。

日本人とごはん 2000年の歴史

弥生時代の遺跡から発掘された銅鐸の表面には「米の脱穀」、「高床式倉庫」、田んぼとゆかりのある生き物が描かれている。だが、どのように米を炊いていたのか。炊飯の歴史に精通する小林正史氏が最新の研究成果を見せてくれた。

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古代吉備文化財センター銅鐸
スタジオトーク

弥生時代の人々は土器を使って、ご飯を炊いていた。具体的にはどう使ってか、佐藤二朗があれこれと思案を巡らせた。

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小林正史
日本人とごはん 2000年の歴史

復元した土器に米、水を入れ、火にかけて蓋をした。しばらくすると吹きこぼれが始まり、土器を傾けた。お好みの固さに仕上げるため、水分量を調節するプロセスと考えられる。続いて、土器を火の上に寝かせ、転がせることで満遍なく火が当たるようにする。炊きムラをなくすための工程だという。弥生時代が進むにつれて土器の形状が変化していくが、熱対流の効率があがり、米全体に火が通りやすくなったと考えられる。

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古代吉備文化財センター横浜市歴史博物館
スタジオトーク

日本で栽培されているお米のほとんどは温帯ジャポニカと呼ばれるが、弥生時代に主流だったのは熱帯ジャポニカ。現在、東南アジアで栽培されている。今回、弥生時代により近いと思われるお米を当時の炊飯法で炊き、試食した佐藤二朗は美味しさ、先達の知恵に唸った。

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小林正史
日本人とごはん 2000年の歴史

古墳時代の中頃、大陸からかまどが伝わり、各地に普及した。布などでくるんだ米を甑に入れ、熱湯が入った湯釜の上に重ねる。米を蒸していたわけだが、調理に手間暇がかかる上、弥生時代の炊飯法と比較して薪の消費量は2倍にのぼるという。古墳時代の中頃、寒冷化にみまわれ、冷夏で90万人以上が死亡したとされる天明の飢饉よりも状況は厳しかったという。そこで、現代人にも馴染みがある温帯ジャポニカの栽培を増やしはじめた。栽培環境の調整が難しいものの、多くの収穫量が見込めたという。

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プラントオパール岩橋千塚古墳群

熱帯ジャポニカの炊飯法に温帯ジャポニカが加わると、均一に仕上げるのは難しい。だが、蒸気であればムラなく米に火を通すことができた。

スタジオトーク

様々なお米をブレンドし、その状態で蒸したご飯がスタジオに用意され、佐藤二朗が試食した。続いて、河合敦氏は戦国時代、足軽たちが持ち歩いていた干し飯を紹介。保存性に優れ、お湯や水で簡単に戻せた。蒸した米から干し飯を作るのだが、水分量が少なく、カビが発生しなかった。

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小林正史干し飯
日本人とごはん 2000年の歴史

羽釜が広まった江戸時代、おいしいご飯をどう炊いていたのか。カギを握るのは蓋の重さだという。米に熱が加わるとデンプン質が溶け出し、吹きこぼれてしまうとご飯の味は台無し。そこで、重い蓋で吹きこぼれを防ぎ、デンプンは米に膜状のおいしさコーティングを施す。ふっくらとした状態をキープし、冷めてもおいしいという。

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都筑民家園高崎健康福祉大学
スタジオトーク

冷めてもおいしいご飯を炊く上で、重い蓋が重要だったといい、佐藤二朗にとっては新発見だった。河合敦氏によると、平和だった江戸時代、人々は旅行や行楽を楽しむようになり、弁当ブームも起きたという。

キーワード
小林正史干し飯
(エンディング)
次回予告

「歴史探偵」の次回予告。

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