- 出演者
- 佐藤二朗 片山千恵子 河合敦 片山千恵子
オープニング映像。
最上義光は城下町を整備するにあたって、鋳物職人を招聘した。鋳型に使われる良質な砂が採れたことから、山形では鋳物が一大産業となった。最上義光は身長180cm以上と体格に恵まれ、鉄製の指揮棒を携帯していたという。戦場では武器として使用。また、鮭が好きで、徳川家康にも献上したこともある。最上氏は山形市周辺だけを治める弱小勢力に過ぎなかったが、徐々に支配地域を広げ、大きな船が最上川を航行できるよう川底を削ったことで経済力の確保にも成功した。庄内地方も手中に収めた結果、日本海から全国との交易が可能に。
1987年に放送された「独眼竜政宗」で原田芳雄が演じた最上義光は悪役として描かれたが、研究が進み、体格に恵まれ、第一級の歌人と判明。交易のために庄内地方をおさえるも、豊臣秀吉の全国統治は間近。最上義光は秀吉の軍門に下るほうがメリットがあると考えたと思われる。
山形城跡で行われた発掘調査で大量の屋根瓦が出土した。金箔が貼られていて、秀吉の覚えめでたかったことが見て取れるという。庄内地方を押さえた最上義光だったが、上杉方に奪い取られ、その横暴を豊臣秀吉に訴えたものの、秀吉は上杉に支配を一任した。また、最上の娘である駒姫は東北一の美女と称されたなか、15歳で豊臣秀次に嫁ぐことになる。だが、秀次は秀吉に謀反を企てた疑いで追放され、自刃する。秀吉は秀次の妻子らを処刑し、駒姫すらも対象だった。後日、最上の妻である大崎御前も没した。
駒姫の死の翌年、大地震が発生。名のある大名たちは秀吉のもとへ馳せ参じるも、最上義光は徳川家康を見舞った。そんな最上の領地は24万石に対し、豊臣政権で五大老の1人だった上杉景勝は120万石だった。
最上義光は東北の大名たちと連合軍を結成し、南方の徳川軍と共に上杉軍を挟撃するはずだった。だが、石田三成が挙兵したため、徳川軍は対処するほかなく、東北の大名も領地へ引き揚げてしまう。最上軍は多くの城を明け渡し、一部の山城を要塞化。巨大な堀が城を囲み、山城の斜面に11段の帯曲輪をもうけた。各段に鉄砲兵を配置することが可能となる。関ヶ原の戦いでは徳川家康が西軍に勝利し、敗報がもたらされると上杉軍は撤退。城で守ってきた最上軍は追撃を開始し、最上義光は戦場で鉄製の指揮棒を振るったとされている。残された兜には弾痕があり、戦いの壮絶さを物語る。そして、最上軍は庄内地方を上杉軍から取り返すことに成功。
関ヶ原の戦いで西軍と戦っていた徳川家康だったが、上杉軍に江戸を襲撃されるリスクがあった。その時、上杉軍と東北で激闘を繰り広げていたのが最上軍で、家康は最上の領地を加増する。江戸時代に入ると、最上は庄内平野を大穀倉地帯にし、家臣に多くの領地を与えるなど剛腹だった。だが、家臣が力を持ちすぎたことが災いし、お家騒動へと発展。最上家は取り潰しとなった。佐藤二朗は最上義光の人柄に惹かれ、「気前が良すぎるのも逆にとても人間くさい」と語った。
「歴史探偵」の次回予告。