関ヶ原の戦いで西軍と戦っていた徳川家康だったが、上杉軍に江戸を襲撃されるリスクがあった。その時、上杉軍と東北で激闘を繰り広げていたのが最上軍で、家康は最上の領地を加増する。江戸時代に入ると、最上は庄内平野を大穀倉地帯にし、家臣に多くの領地を与えるなど剛腹だった。だが、家臣が力を持ちすぎたことが災いし、お家騒動へと発展。最上家は取り潰しとなった。佐藤二朗は最上義光の人柄に惹かれ、「気前が良すぎるのも逆にとても人間くさい」と語った。
© 2009-2025 WireAction, Inc. All Rights Reserved.