最上義光は城下町を整備するにあたって、鋳物職人を招聘した。鋳型に使われる良質な砂が採れたことから、山形では鋳物が一大産業となった。最上義光は身長180cm以上と体格に恵まれ、鉄製の指揮棒を携帯していたという。戦場では武器として使用。また、鮭が好きで、徳川家康にも献上したこともある。最上氏は山形市周辺だけを治める弱小勢力に過ぎなかったが、徐々に支配地域を広げ、大きな船が最上川を航行できるよう川底を削ったことで経済力の確保にも成功した。庄内地方も手中に収めた結果、日本海から全国との交易が可能に。
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