武田家は築城に優れ、多くの城で馬出しが築かれていた。長篠の戦いで武田軍に勝利した後、家康は小山城を攻めるも、落城させることはできなかった。そこで家康は武田流の築城術を自らの城に取り入れ、岡崎城には馬出しを2か所設けた。さらなる発展版が江戸城の3連続馬出しといえるという。また、織田信長が築いた安土城には外枡形が3つ連続してつくられていたといい、「信長公記」によると、家康は安土城に招待されていた。この時、家康は外枡形を目にし、自らの城に導入したと考えられるという。
住所: 静岡県榛原郡吉田町片岡2537-1