- 出演者
- 佐藤二朗 片山千恵子 岩崎果歩 山口馬木也
福井県にある柴田神社は勝家とその家族が祀らわれており、柴田勝家が居城とした北ノ庄城の跡地といわれている。上杉謙信や一向一揆との戦いに備え築城された。しかし、築城から8年で焼失してしまし、実態はほとんどわかっていない。羽柴秀吉の書状によると、城は9階建ての天主がそびえ立っていたという。城は織田家の序列を示すものだったため、城造りの点からみても秀吉は勝家には到底かなわない存在だった。
柴田勝家が築いた北ノ庄城についてルイス・フロイスは、石の瓦が使われていたと記している。素焼きの瓦に比べ、北ノ庄城の石の瓦は独特の色合いをまとっている。瓦は笏谷石という石材で福井の足羽山で採れる青みがかった石で作られている。
AI技術を使って北ノ庄城を3次元のCGで復元。笏谷石が使われているため、青みがかっており、水にぬれると色がより際立って見える。スタジオで実際に笏谷石に水をかけて実験。Q柴田勝家が笏谷石をプレゼントしたのは誰?山口馬木也はお市さんと予想した。
Q柴田勝家が笏谷石をプレゼントしたのは誰?正解は信長。安土城に勝家が贈った笏谷石で作られた階段の敷石が残されている。安土城には笏谷石製の大型容器が発掘されている。Qこの笏谷石の入れ物は何に使うもの?山口馬木也はトイレと予想。正解は、トイレかもしれない。トイレだとすると天皇もしくは信長専用の特注品の可能性がある。
織田軍を苦しめたのが一向一揆。これに対して勝家は刀狩りを行い、一揆を未然に防いだ。刀を取り上げて反一向一揆の勢力に貸していた可能性もある。勝家が行った検地は、軍事力の基盤となった。石高に応じて軍事動員することが越前国内で効率的に可能になった。勝家は合戦場で強いイメージがあるが、実は合戦が始まる前の準備段階できっちり政策を行っていた。
信長は歴代で織田家に仕えた人であっても、地位や立場にふさわしい仕事をしないと、すぐにクビにしてしまう非情さがある大名だった。信長は勝家に書状を送り、国を治める心構えを説いている。書状から、信長が勝家を優秀な武将と信頼し、評価していることが伺える。本能寺の変で信長が明智光秀の謀反に遭い、天下統一目前で命を落とす。勝家も敵討ちを果たそうとするが秀吉に先を越される。二人は本能寺の変から1年足らずで激突することになる。
柴田軍4万と羽柴軍7万が激突した賤ヶ岳の戦い。勝家が本陣を置いた玄蕃尾城は、全長250mで賤ヶ岳周辺に築かれた砦の中で最大規模を誇った。玄蕃尾城のそばを通る北国街道を進み、秀吉のいる畿内へ一気に攻め込む作戦だった。
賤ヶ岳の戦いでの羽柴軍の戦略を赤色立体地図で読み解く。秀吉は玄蕃尾城の南に砦を次々に築いた。砦で第1防衛ラインを築き、勝家の進軍ルートを阻もうと考えた。万が一、突破されても第2防衛ラインを備えていた。勝家は敵の弱点を見抜き、攻勢に転じた。
秀吉は大垣城を出発してからわずか5時間で50kmの距離を駆け戻り、賤ヶ岳に大軍を率いてきた。美濃大返しと言われる超高速移動だった。この大返しは、長浜の人々の支えがあったと考えられる。地元の有力商人が、行軍にあたり道案内をした伝承が残っている。賤ヶ岳の戦いの2日後、北ノ庄城は秀吉の大軍が包囲される。勝家は最期のときに、市と娘3人を逃がそうとした。織田家の血を引く者を逃がすことは、勝家の織田家に対する最後の仕事だった。
「歴史探偵」の次回予告。
