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オープニング映像。
サントリーニ島は弓のような形をした細長い島。ネア・カメニ島は約3600年前にここから大噴火が起きカルテラは海に沈んだ。ここでは先進的で豊かな文明が栄えていたが噴火とともに滅んだ。外輪山がサントリーニ島となって残った。火山岩は多様で複雑な断崖を作り出した。レッドビーチは溶岩に含まれた鉄が酸化し赤色を帯びている。島の南東に山並みがある。紀元前9世紀頃、人々は再び山並みの尾根に街を築いた。崖の上に街を築いたのは海賊の襲来を避けるためだったという。町は古代ギリシャからローマ帝国の時代へと繁栄を続ける。屋根の先端近くには軍事訓練の場所もあった。ローマ帝国が分裂した後も、この町は繁栄を続けた。しかし726年、再び大噴火が起き街は廃墟となった。それから約千年が経ち崖の上に白い街並みができた。
港から長い階段を上った先に街がある。サントリーニ島は海上交通の要衝だった。港で働く人達あ横穴を掘って住み、やがて街となった。会談は580段、ロープウェイで昇ることもできる。サントリーニ島には数百の協会があり丸いドームが目立つ。今ではエーゲ海屈指の観光地として大勢の人々がやってくる。島の突端にも街がある。夕景の美しさで知られる。
シミ島では赤い屋根の家並みが入江を囲む。壁は明るい色に塗られパステルカラーの独特の街並みを作っている。シミ島は造船で栄える豊かな島だった。人々は競って美しい家を建てたという。第2時世界大戦中のドイツ軍の爆撃で街並みは破壊されたが元通りに再建された。街を見下ろす丘の上には古代の遺跡の一部やかつて使われていた風車の跡がある。シミ島はヨーロッパの人々の間で年々人気が高まっている。
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- シミ島
ミコノス島では美しい家並みが人々を魅了し「白い宝石」とも呼ばれている。島には遺跡は少なく、かつては漁業や農業で暮らす島だった。20世紀半ばから観光客が大勢訪れるようになった。今も漁業を営む人たちがいて魚市場もある。夕日が落ちるときの美しい光景が広く紹介されてきた。
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- ミコノス島
ナクソス島では古代ギリシャの時代から良質の大理石を産出してきた。山間にナクソス島で最も美しいとされる村がある。ナクソス島は13~16世紀、ベネチアに支配された。ベネチアの影響を受けた建物が多い。
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- アピラントス(ギリシャ)ナクソス島
ティノス島も中世の時代、ベネチアの支配下にあった。斜面に小さな建物が並ぶ。人々はベネチア風の装飾を競った。今でも600以上が残っている。内陸にはヒオス島にしかないマスティハの林が続く。樹液には殺菌作用がありフクルから香料や歯磨きに使われてきた。ピルギ村の人々もマスティハの栽培してきた。クシスタと呼ばれる幾何学模様を施した家が目立つ。村の職人がトルコから持ち帰った技法だという。協会にもクシスタの模様が施されている。壁を二重に塗り、上の白い塗装を削って模様を浮かび上がらせる。村には今も職人がいて独特の風景を維持している。
ロードス島にあるリンドス遺跡。紀元前10世紀、断崖の上にアクロポリスが築かれた。中世になると城壁に囲まれ要塞となった。絶景の地リンドスは2500年にわたって重要な役割を担った。崖の上野狭い場所に様々な時代が交錯している。
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- ロードス島
クレタ島の面積は四国の約半分、エーゲ海最大の島。クレタ島には肥沃な大地が広がっている。高原には灌漑用の水路が横並びに延び、かつて使われていた水車も残っている。マタラ海岸。はるか昔、この洞窟は人の住まいだったという。ゴルティスは古代ギリシャのアクロポリスがあった。ふもとにすずかけの木がある。実際の歴史ではゴルティスはその後長く栄えた。ビザンチン帝国の時代になってもゴルティスの繁栄は続く。828年、ゴルティスはイスラム勢力に滅ぼされ土に埋まった。
1900年、世界を驚かす発見があった。神話ではゼウスの子ミノス王が築いたとされる古代の宮殿が見つかったのだ。宮殿は古代ギリシャ時代のはるか前、紀元前2000年頃に築かれた。宮殿は5階建てで千数百の部屋があった。宮殿に城壁はなく平和な時代だったことが伺える。宮殿には多くの壁画が残っている。広場の左側に王の居住区がある。排水路が整備され、風呂や水洗トイレもあった。宮殿内部は複雑で迷路のようになっていたという。クレタはエジプトなどとの交易で栄えた。この宮殿を築いたヨーロッパ最古の文明は紀元前12世紀頃、滅びる。その理由ははっきり分かっていない。しばらくの空白の時代を経て古代ギリシャ文明が花開いていく。
ナクソス島。白い家が連なる丘の上にはアクロポリスがあった。小さな島に神殿がある。神殿は紀元前530年頃に建設が始まったが未完に終わった。ナクソス島は大理石の産地で神殿の柱もつなぎ目のない大理石が使われている。ナクソス島の山中に大理石の石切り場があった。ここに巨大なディオニュソスの像が横たわっている。像は未完のまま放置されたらしい。
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- ナクソス島
古代ギリシャ・ローマの時代の遺跡だけのデロス島が世界遺産に登録されている。住むことは禁止されホテルや店はない。デロスは古代ローマの時代になっても自由港として交易で栄えた。島の人口は最大で3万を数えたという。デロスにも神話の舞台となった場所がある。聖なる伊豆うみはライオンの像によって守られている。大理石の像は紀元前7世紀にナクソス島から奉納された。デロスにはアポロンの神殿が築かれた。大勢の巡礼者が訪れ参道を通って神殿へと向かった。アポロン像の一部は離れた場所に放置されていた。デロスには地中海沿岸各地から証人が来て賑わった。しかし戦乱や海賊の襲来によって衰退する。そして遺跡だけの島となった。
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- デロス島
ロードス島。紀元前8世紀ごろに築かれた街。街の入口には広場や神殿、公衆浴場などがあった。ヒオス島ではギリシャ神話の生みの親とも言われている詩人ホメロスがこの島の生まれだとも伝えられている。ホメロスの叙事詩には史実も含まれるがゼウスをはじめ多くの神が登場する。ホメロスらによってギリシャ神話は後世に伝えられた。
ビザンチン帝国が滅亡するとエーゲ海の島々の多くのイタリアの海洋国家に支配される。ヒオス島は14世紀~16世紀にかけジェノバに支配され城壁が強化された。その後オスマン帝国に支配されるようになる。ビオス島はトルコに近く商売などを通して行き来も置かった。ビオス島の山中に世界遺産の修道院がある。聖堂は11世紀に建てられた。最盛期には800人の修道士がいた。今は司祭1人だけが暮らしている。19才木、独立を求めるギリシャはオスマン帝国に戦いを挑む。鎮圧を図るオスマン運はヒオス島に押し寄せる。多くの住民はこの修道院に逃げ込むしかし修道士たちと共にオスマン軍に殺された。修道院には今も遺骨が納められている。
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- ヒオス・タウン(ギリシャ)ヒオス島
ロードス島。十字軍の中心となったヨハネ騎士団が築いた城。ヨハネ騎士団はエルサレムの陥落後、14世紀始めのロードス島を拠点にした。城壁に囲まれた旧市街地は世界遺産に登録されている。旧市街地には様々な文化が混在し独特の魅力を放っている。ロードス島はいつの時代も地中海の交易の拠点として賑わってきた。今はクルーズ船やチャーター便で大勢の観光客がやってくる。旧市街の北川に新市街地が広がっている。エーゲ海の島々には多様な文化と神話、そして4000年の歴史がきらめいている。
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- ロードス島