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オープニング映像。
「愛は勝つ」の大ヒットで知られる福岡出身のシンガーソングライターKAN。KANは2023年11月、61歳という若さでなくなった。デビューから36年の間に発表した楽曲は150以上。福岡・中央区、KANの音楽の原点はこの街にあった。松本竣一さんはKANの3歳の頃からの幼なじみ。2にんは同じ団地に暮らし遊ぶ時はいつも一緒だった。KANは1962年、作曲家の父とピアノ講師の母の間に生まれた。兄とともに音楽に慣れ親しんだ幼少期だった。小学生になると松本さんの誘いで毎週、教会に通い6年間、子ども讃美歌を歌っていた。中学生のときにロックに目覚め同級生とコピーバンドを始めた。高校のときもバンドをしていたが、部活は水泳部だった。音楽が共通の趣味だった野村さんは、ビリー・ジョエルのレコードをKANに手渡した。ビリー・ジョエルを聞き、KANはプロの道を志すようになった。野村さんのもとに再びこのレコードが戻ってきたのは29年後。そこにはKANからのメッセージが添えられていた。メジャーデビューを目指し上京したKANは大学に通いながらバンド漬けの日々を送った。共に上京した高校の同級生・長島理生さん。同じアパートで下積み時代を過ごした。1987年、25歳のときにメジャーデビュー。しかし注目を集めることはなかった。
模索を続ける中、ある1曲がKANの運命を変えた。それが1990年発表の「愛は勝つ」だった。シングルの売り上げは200万枚超。翌年には日本レコード大賞を受賞し、紅白にも出場した。ところが、大ヒットの裏側でKANは複雑な思いを抱いていた。そもそも「愛は勝つ」は恋愛に悩む友人を励ますためにポロッとでたフレーズ。これまで繊細な詩の表現にこだわってきたKAN。抽象的で大雑把だと思っていた曲の大ヒットに戸惑いを感じていた。同級生の長島さんは「愛は勝つは僕とか福岡の友達の中ではベストワンではない。もっとKANらしいものがあった」などと話した。その後も年に1度のペースでアルバムを発表しツアーコンサートを開催。厳しいスケジュールの中で曲を作り続けていったKANは「このペースでやっていたら音楽の仕事を長く続けられない」と次第に追い詰められていくようになった。愛は勝つから10年。そんな思いをKANは抱き続けていた。
丁度、この頃、KANは深夜の音楽番組「星の種」に出演のため故郷・福岡に通い始めることになる。当初は福岡のアーティストを発掘する番組だったが次第にKANの自由な発想をいかした音楽バラエティーに変わっていった。番組作りが楽しくなり、KANは企画、構成、編集にまで参加した。2001年、番組が終了。その翌年、KANは日本での音楽活動を休止。フランス・パリに移住し、ピアノを基礎から学び直した。内山敬太はKANの番組に出演したことをきっかけに20年以上に渡り親交を深めてきた。帰国後、KANは始めてピアノ弾き語りツアーを開始した。2023年、がんが見つかり10ヶ月の闘病生活の末、61歳で亡くなった。その2か月前、KANは奥さんとある人を連れて食事を楽しんでいたという。そのある人というのが、兄の木村索だった。木村索は「絶対治るつもりでいた。治療してステージにまた立つ。そこしか見てなかった」などと話した。
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2024年11月4日(16:05)