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オープニング映像、能登半島地震直後にセンバツに出場、被災地の希望の光りと呼ばれた日本航空高等学校石川を紹介する。
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- 令和6年能登半島地震日本航空高等学校石川
1月、日本航空高等学校石川の選手たちは山梨県の系列校に避難していた。日本航空高等学校石川の野球部員のほとんどは県外の出身。地震発生時、部員の多くは実家に帰省し、現地の様子を見ていないことも多かった。そんな中七尾市出身の福森選手は、輪島市の実家で被災。祖母を背負って非難した。避難所ではボールも握れなかった福森選手。この時の苦しい気持ちを福森選手は書き記した。家族や被災地の人たちの思いを背負うのだと福森選手は話してくれた。
センバツでのメンバー入りは20人。福森選手はいまだこうしたメンバーに入ったことはないという。それでも被災地の人たちの気持ちに応えたいという福森選手は練習試合に臨んだ。しかし気持ちが先行しすぎたのか、芳しい結果は得られない。被災地のことを考える、その感情が入ることで野球に集中しきれなくなってしまうのだと、気持ちを吐露する福森選手。被災地の気持ちを背負うということに複雑な思いを感じているという。こうした気持ちは県外の選手も感じており「ニュースで見たことで実感がない」のだという。監督である中村隆さんは阪神・淡路大震災を経験している。だからこそ選手たちにより深いところでものごとを考えてほしいのだと語った。センバツまで3週間、中村監督は寳田主将と一緒に被災地に足を運んだ。そこで普段声を掛けてくれる人々のことを思い「笑顔や勇気を返せたら」と寳田主将は感じて、選手に自分が目にしたもの、感じたことを伝えた。寳田主将の言葉に、福森選手は嬉しいと感じたという。山梨で行われた卒業式、3年生はセンバツに向かう選手たちに声を掛けた 。
大会2週間前の練習試合。出場メンバー決定を目前に控え、福森選手は集中力・調子を取りもしつつあった。メンバー発表当日、福森選手は出場メンバー入りした。大会5日前、選手たちは「笑顔・感謝・恩返し」と帽子に書き込んだ。初戦は強豪・常総学院と対戦。1点ビハインドの8回、2アウト満塁で伝令として福森選手はマウンドに向かった。「緊張せず楽しもう」と声を掛けた福森選手、帽子の言葉を見直した選手たちはこのピンチを凌いだ。試合はそのまま敗れたものの、多くの人々が彼らの健闘を称えた。4日後、選手たちは輪島を訪れた。4月からは東京の仮校舎で過ごすという。
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