2023年8月5日放送 1:48 - 2:37 NHK総合

NHKスペシャル
選「雨の神宮外苑 〜学徒出陣・56年目の証言〜」

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オープニング

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(NHKスペシャル)
雨の神宮外苑 〜学徒出陣・56年目の証言〜

国立競技場では56年前に7万5000人の若者が集結した。昭和18年10月21日に出陣学徒壮行会は太平洋戦争の戦局の悪化に伴って20歳以上の学生が徴兵猶予をとかれ戦地に向かうことになった。学生たちは、この壮行会の行進のあとに戦争の中に送り込まれたという。競技場を行進した学生は、2万5000人で学業半ばにして戦場に向かう彼らはこの時何を思っていたのか、その真実に迫る。東京国立近代美術館フィルムセンターに出陣学徒壮行会を記録した文部省で制作のフィルムが残っている。これまでは広く知られた映像はニュース映画として上映された5分40秒のもので、このフィルムは15分あるという。このフィルムは制作されて今日に至るまでほとんど公開されたことはなく、僅かな人々しか目にしてこなかったという。軍楽隊は明治18年に作られた分列行進曲で、おのフィルムにはニュース映画とは違い学生の表情が克明に映されている。出生すれば下級士官になり、戦死する可能性が高い任務につくことになっていたという。

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国立競技場太平洋戦争文部科学省東京国立近代美術館フィルムセンター 相模原分館陸軍分列行進曲

その時に行進した学徒は今70代に差し掛かっているという。今回その人々に取材した。田中梓さんは学徒として行進した後に陸軍に入隊したという。アメリカ軍の本土上陸に備えて首都東京を守る野戦部隊に配属されたという。田中さんは前の日に大学の教練があり、銃を返しに行ったときに明日には行進してほしいと言われ、歩いたという。小林さんは21歳でこの行進に参加。海軍に入隊し沖縄戦では特攻隊として出陣したという。軍隊に行くのは嫌だったと答え、そのために大学生になったが突然その生活に終止符がうたれたという。昭和18年には日本軍はガダルカナル島の戦いを機に敗退を繰り返し、戦局は泥沼化していた。多くの将兵が戦死する中で下級士官や航空機のパイロットの不足が深刻化していたという。そうした将兵を早急に補充する事態に迫られていたという。そこで軍部が目をつけたのは、大学や専門学校に在学していた学生や生徒たちだったという。当時大学など、高等教育機関の進学率は3%だったが、学生たちは国の将来を支える貴重な人材であるとみなされて徴兵は猶予されていた。しかし戦況の悪化とともにこの徴兵猶予の特典を見直すべきだという声があり、東條英機首相の決断がまたれていた。当時、東名通信の取材メモでは東條首相が学徒出陣を決めるにあたって下級士官の補充だけでなく国民感情を強く配慮していたことが伺えた。

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中野区(東京)東條英機

学生の徴兵猶予を停止させ国民が一丸となって戦争に邁進する挙国一致の体制をアピールするのが文部省主催の出陣学徒壮行会だった。午前9時20分に東京一円の学生2万人の行進が行なわれた。先頭は東京帝国大学だったがその手にしている銃は三八式歩兵銃。終戦まで日本陸軍で多く使われたものだという。行進は一時間に及んだ。志垣民郎さんは当時東京帝国大学の二年生だったというが、戦争を避けて勉強をしていくことはできないという考えがあったという。さらに国に協力して戦争に加勢するのは当たり前のようなことだと感じていたという。望月一訓さんは明治大学の学生でだったが、戦争の中で溺れた時の訓練を学校で急遽したという。文部省が作成した壮行会の要項が残っているが、各大学の学長などに出されたものだという。そこには壮行会を開く目的が記されていた。競技場には、大観衆が集められることになり、最も大きな位置を占めていたのは女子学生だった。壮行会を盛大にするために多くの女子大生が動員された。

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国立競技場太平洋戦争文部省明治大学東京帝国大学東條英機

渡辺槇夫さんは当時慶應義塾大学の1年生だった。その後陸軍のパイロットになりシンガポールで終戦を迎えたという。渡辺さんはその時の女子学生の声援を鮮明に覚えているという。スタンドを埋めた女子学生は東京都内30校以上の2万5千人が集められた。今回のフィルムにはその女子学生の様子も映っている。戸田さんは日本女子大学校の女学生だったが兄が学徒として行進する様子をスタンドで見守っていたという。

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国立競技場太平洋戦争慶應義塾大学病院日本女子大学校

杉本苑子さんは当時、千代田女子専門学校の生徒だった。ゲートの近くで学生の様子を見守っていたがその時にゲートに近かった女学生達は雪崩のように駆け寄ったという。しかし当時はこういった状況で女性が駆け寄っていくというのはタブーだったと語ったが、しかしそれがとぶほど皆泣いていたという。志垣さんは男子学生がそういったことがあったのにも関わらず行進を繰り返していたが、その背景には示しをつけるためで死にたくはないが運命なのでしょうがないと考えていたという。行進が終わると観客席の興奮が収まり式典は静かに進行した。主賓の東條英機の訓示は敵の撃滅を訴えるものだった。式典を締めくくったのは学生の代表の江橋慎四郎さんの答辞だった。江橋さんが読み上げたものは悲観に溢れていた。渡辺さんはその答辞については男の使命として国土や家族や民族を守るのは当たり前のように感じていたと答え、志垣さんはその答辞には抵抗感があり、戦死するのは運命だと思うが一方で死なずに戦後の日本を立派にするという生きている方がいいのではないかと思っていたという。

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千代田女子専門学校国立競技場太平洋戦争東京帝国大学東條英機江橋慎四郎

東京女子医学専門学校に通っていた中尾聰子さんは学徒の行進をスタンドで見ていたと言うがなぜ戦争にいかなければいけないのかと思っていたという。当時は国民が戦争を聖戦と呼ぶほど国民がそういう考えに染められていたというように感じられるが実際は悩みも苦しみもあると答え、冷めた目で見ていた人もいたという。が自分もそうだったという。今回のフィルムには学生たちが配属将校に伴われて皇居前広場に向かう様子があった。志垣さんは陸軍に入隊後に中国戦線に送られたという志垣さんが感じたのは暴力が繰り返される毎日だったというが軍隊は非合理ででたらめな組織だったという。上官の命令でなく、私的に殴るという行為が横行し、人の能力を有効に引き出すには?などの考えはなく、ただ叩いて同じ方向に持っていくという荒いものだったという。学生の多くは短期間の訓練をうけた後に激戦地に送られた。アメリカの艦船に体当りする特攻隊では、多くの学徒兵の命が失われた。海軍に入隊した小林さんは沖縄戦で特攻隊として出撃することを命じられたという。

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国立競技場太平洋戦争東京女子医学専門学校

小林さんが乗ることになったのは古い型の偵察機で、機体は金属の骨組みに布を貼って作られたものだった。小林さんはこんな機体で赴くことに悲劇と感じたという。こんな扱いでは死んでも死にきれないと思ったという。陸軍に入隊した西川さんは、フィリピン・ルソン島のジャングルで体験したのは飢えとマラリアに苦しむ絶望的な戦場だった。西川さんは地獄のように感じたと答えた。学徒兵の多くが最前線で戦い、壮行会で行進した学生のうち3000人以上が戦死したという。久保恵男さんは東京帝国大学に通っていた学生だった。昭和20年の5月に特攻隊員として訓練中に亡くなった。その五か月前に久保さんが家族にあてた手紙には国行く末を案じる気持ちが込められていた。

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久保恵男太平洋戦争東京帝国大学
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エンディング

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