- 出演者
- 鈴井貴之 多田萌加
函館市民会館でオープニングの挨拶。TERUとTAKUROが登場した。TERUは高校時代に3年生を送る会で函館市民会館のステージに立ち、「Endless Rain」のギターソロを弾いて途中で止まった苦い思い出がある、今は函館に自分のスタジオを建てて収録していると話した。
「函館コミュニティプラザ Gスクエア」にはGLAYの4人をかたどったレリーフが飾られていた。図書館の郷土資料コーナーにはGLAYの史料が並んでいた。函館駅近くのオフィシャルショップにはメンバーの私物や貴重なアイテムが並べられ、「HOWEVER」の作詞ノートも展示されていた。店主はJIROの高校時代の後輩。高校時代にライブをしていたあうん堂ホールはファンの間で有名な聖地となっている。壁にはメンバーが書いたとされる「GLAY」の文字があった。
TERUは函館は18年間しかいなかったが離れれば離れるほど郷土愛が深くなると話した。TAKUROはHOWEVERができたきっかけは映画「卒業」で、ハッピーエンドのあとも人生は続きいろんなことがあるという思いを込めて「HOWEVER」にしたと話した。TERUは壁の文字を書いたのは当時のメンバーだったと話した。あうん堂の笹井さんはGLAYは演奏しているととんがっているけど終わると謙虚な高校生だったと話していた。TAKUROは当時は札幌に行く考えもあったが、札幌は住みやすくいのでもっと厳しい環境に身を置かないと人の優しさに溺れてしまいそうだったと話した。
1997年に北海道拓殖銀行が経営破綻し、道民の暮らしは混乱を極めた。その頃流れていた「HOWEVER」は道民の心を癒やしミリオンセラーを達成。その後「誘惑」「SOUL LOVE」「BE WITH YOU」をミリオンを連発。「Winter,again」は160万枚を超える最大のヒットになった。MVは美瑛町で撮影された。99年7月31日には幕張メッセ駐車場で野外ライブ「GLAY EXPO」を開催し、20万人のファンが集まった。単独アーティストの有料ライブとして世界一の動員数を記録した。2001年では石狩で開催し凱旋を果たした。
TAKUROは忙しすぎてこの頃の記憶がない、4人で励まし合って乗り越えたと話した。TERUはマネージャーを通さずに4人で話し合うのはGLAYのルールだった、忙しくなると4人の距離が離れるのを危惧してルールに則って活動してきた、言いづらいことも言ってもらえて信頼関係ができたと話した。TAKUROは売れるのが一番だというメンバーがいたら今のGLAYはなかった、GLAYにとって何が幸せかは永遠のテーマと話した。美瑛での「Winter,again」のMV撮影は雪待ちの瞬間だったという。石狩市で開催した「GLAY EXPO 2001」には10万人が集まった。TERUはイベントをやると北海道愛が膨らむ、あの一日があったおかげで北海道で活動できていると話した。TAKUROは北海道でGLAYの音楽を流すのがGLAYにとってもファンにとっても正しい聞き方だと意識しだしたライブと話した。
2011年9月11日にアメリカ同時多発テロが起き、以降世界各地でテロや戦争が起きた。この頃GLAYは2枚のアルバムを発表。楽曲により大きなメッセージを込めるようになる。TAKUROはテロの半年前にニューヨークでレコーディングをしていた、テロが起きてからの4、5年は悩んでいたと話した。2002年には日中国交正常化30周年を記念して北京でライブを開催。最初に演奏したのは「GLOBAL COMMUNICATION」だった。TERUは「誘惑」「口唇」は検閲で演奏できなかったと話した。
2007年に夕張市が事実上の財政破綻。サービスが停滞し、街からは人影がなくなっていった。夕張を元気にするために開かれた「CUE MUSIC JAM-BOREE IN YUBARI」にGLAYも参加し、松山千春の「長い夜」を演奏した。TERUは札幌でライブをすると松山千春からお寿司の差し入れがくると話した。GLAYはその後も毎年夕張へ通った。TAKUROは夕張だけの問題じゃなくてゆくゆくは自分たちの問題にもなる、夕張のことを伝えればそれぞれが自分たちのことを考えるきっかけになるんじゃないかと話した。
2013年には地元の函館で大規模ライブを開催。この日のために人工島「緑の島」が整備された。2日間で5万人を動員したが、2日目は豪雨となった。交通機関はストップし帰れなくなるファンも。そんなファンを函館のコミュニティFMが勇気づけた。気温が下がったことに危険を感じたTERUとJIROが飛び入り参加し、ファンに注意事項などを伝えた。TERUはホテルや市役所が協力してくれて帰れないファンのために施設を無料で開放してくれたと話した。当時パーソナリティだった宮脇さんは今も毎週1時間GLAYの情報を届けている。熱心なGLAYファンではなかったが、メンバーの人となりに触れてからGLAY沼にハマった。番組で11年かけて全楽曲を2回ずつかけ、リスナーからGLAYおじさんとして知られるようになった。TAKUROはロサンゼルスにいながらネットでFMいるかを聴いている、毎月地元の友達に函館のフリーペーパーをロサンゼルスに送ってもらっていると話した。2014年に発表した「疾走れ!ミライ」のMVは全編函館ロケ。「Supernova Express 2016」は北海道新幹線開業イメージソング。
コロナ禍でライブ数が激減し笹井さんはあうん堂を閉めた。クラウドファンディングで支援金を募り、それを知ったTERUはファンたちに支援を呼びかけた。TERUもあうん堂から無観客ライブを配信した。TERUは思い出の場所を守るために協力している姿がいろいろなミュージシャンに届けば自分たちが愛しているライブハウスをミュージシャンが残していけるんじゃないかと考えたと話した。TAKUROは創作活動は一回止めちゃうと立ち上がるのは難しい、TERUが歌う場所を作り続けていかないとできる状況になったときに期待に応えられないと話した。
TERUは函館の個人アトリエで函館在住の画家たちと絵を描いている。TERUは風景がインスピレーションを与えてくれると話した。TAKUROが大切にするのも函館での曲作り。QUEENと対バンしたときも北海道の曲があるから怖くなかったと話した。