2024年8月5日放送 1:05 - 1:35 日本テレビ

NNNドキュメント
’24「生かされて〜原爆投下79年目の決意〜」

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(オープニング)
オープニング

オープニング映像。

生かされて 原爆投下79年目の決意

原爆投下から79年、被爆者の決意。

生かされて 原爆投下79年目の決意

才木幹夫さん、92歳。79年前は中学2年生で8月6日は建物疎開の作業に行くはずだった。建物疎開とは空襲による火災の広がりを防ぐため木造家屋を取り壊す作業。その日は担任の先生に自宅待機を命じられ、午前8時15分に原爆が投下された。爆心地から2km以内の地域は焼失。才木さんの自宅は2.2kmで比治山の影で全壊を免れけがもなかった。翌朝比治山を登ると死体が並んでいた。

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才木さんが通っていた広島第一中学は爆心地からわずか800m。2年生は休みだったが建物疎開のため登校していた1年生はほとんどが亡くなった。児玉光雄さんは1年生の数少ない生存者。才木さんは歌では8月6日に向き合うことができ、地域の合唱団で歌い続けている。

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4年前、存命中の1年生は児玉光雄さんのみになっていた。全身をがんに侵されながら「核の怖さを伝えていきたい」と話す。児玉さんは88歳で死去。

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才木さんの気持ちの変化を後押ししたのは自宅で共に被爆した兄弟たちだった。記憶をたどるため原爆資料館へも向かった。戸田先生の手帳が見つかり、反逆罪も覚悟した先生の決断が命をつないでいた。才木さんは証言者として語り始めることを決めた。

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才木さんは証言者になって1月あまりが経った。あの日命を落とした1年生と同年代の小学6年生に語りかける。あの日を語り始めるまでに79年がかかった。「生きていること自体に感謝」などと才木さんは話した。今年も広島は8月6日を迎える。

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広島平和記念資料館広島県広島第一中学校戸田五郎
(エンディング)
次回予告

次回予告。

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