- 出演者
- 中居正広 ヒロミ 陣内智則 新井恵理那 高橋ひかる 杉谷拳士
夏の甲子園でHR王の称号を手にできるのは一握りで、WBCで活躍した選手たちすらリスペクトする。中田翔は2本を放ったが、「打った瞬間、頭真っ白」と振り返った。
22年の夏の甲子園で打率7割、高校通算で68本のHRをマークしたのが浅野翔吾。高校卒業後、ドラフト1位で巨人に入団した。HR王になった後、学校の休み時間はサインに充てたという。同年、HR王になったのはもうひとりいて、土屋奏人は東北福祉大学に進学した。21年の夏の甲子園でHR王となったのは準優勝に貢献した前川右京。高校卒業とともに阪神タイガースに入団した。同年、甲子園で最多ホームランを記録した5選手のうち、前川を含めた3人がプロ野球入りを果たしている。
夏の甲子園に2度出場した杉谷拳士は甲子園でHRを打つというのは能力に加え、運もあると語った。
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19年の夏の甲子園で履正社の初優勝に貢献し、HR王に輝いたのが井上広大。阪神タイガースにはドラフト2位で入団し、今シーズンは一軍でも活躍している。続いて、吉田輝星が話題となった18年、大阪桐蔭の藤原恭大、根尾昂がHR王となった。高校卒業後、藤原は千葉ロッテマリーンズにドラフト1位、根尾は中日にドラフト1位で入団。2017年、村上宗隆を上回る活躍をしたのが中村奨成で、HR王に加え、安打数、二塁打、打点とともに歴代1位の記録を打ち立てた。牧秀悟、山本由伸が高校3年だった2016年、HR王は入江大生。明治大学を経て、ドラフト1位でDeNAに入団。2015年のHR王は仙台育英出身の平沢大河で、ドラフト1位でロッテに入団した。
2015年、平沢大河と並んでHR王になったのが山本武白志で、2回戦では2打席連続ホームランを放った。25歳の現在、沖縄のゴルフ場でキャディとして働いている。山本は巨人でプレーした山本功児氏を父に持ち、野球の実力をつけていった。小学校高学年の時、功児氏は慢性心不全に倒れた。ペースメーカーを入れるよりも息子との練習を優先し、山本は父が生きているうちにプロに進みたいと練習に明け暮れた。2015年のドラフト会議、山本はDeNAから指名を受け、半年後、功児氏は死去。その後、山本はプロで活躍できず、戦力外通告を受けた。今はプロゴルファーに挑んでいる。杉谷拳士はプロに進んだ後、中田翔には敵わないと痛感し、両打席に立ったり、内野、外野を守るなどできることを模索したという。
岡本和真が高校3年だった2014年、大阪桐蔭から満塁HRを放つなどHR王となったのが御簗翔。関東学院大学、社会人野球を経て、会社員として働いている。2014年は他に4人がHR王となったが、いずれもプロ入りしていない。13年、HR王に輝いた森友哉はオリックスで活躍している。同年、他に2人がHR王となっていて、1人が前橋育英の田村駿人。
2013年、森友哉とともにHR王となったのが前橋育英の田村駿人。甲子園優勝も果たしたことから、「野球でこれ以上は目立てない」と考え、プロレス団体のGLEATで活躍している。
ワールド・ベースボール・クラシックでMVPに輝いた大谷翔平は高校時代に球速160キロ、56HRをマークしていた。高校3年は甲子園出場を逃すも、ドラフト1位で日本ハムに入団した。2012年、HR王に輝いたのは北條史也。ドラフト2位で阪神タイガースに入団。
2010年、山田哲人を上回る活躍を見せ、2年生にしてHR王に輝いたのが村井昇汰。29歳の現在、地元である滋賀の建設会社で事業部長を務めている。高校3年の年、警察沙汰を起こし、出場を逃した。進学先では野球に打ち込むも、プロ入りは断念。2010年、HR王は村井を含めて3人いて、うち1人はプロ入りを果たした。吉田正尚が高校1年だった2009年、HR王に輝いたのは磯村嘉孝。高校卒業付後、ドラフト5位で広島に入団した。
2008年の夏の甲子園でホームラン王になったのが大阪桐蔭の萩原圭悟さん。大阪桐蔭史上最も打った4番打者で打率は.519。計5試合で15打点をあげ、当時の新記録を作った。打ったホームランは3本。1年先輩の中田翔も驚く活躍を見せた。32歳となった現在は税理士事務所の事務員として働きながら、税理士を目指して勉強中。小学生の時から天才バッターと言われ、中学時代は関西選抜に選ばれた。大阪桐蔭で4番を打ち、甲子園で優勝。ホームランは狙って打ったわけではなく、安打でつなぐ4番を目指していた。甲子園で打ったホームランは偶然だったが、大学時代はホームランを期待され、打てずに全然ダメだなと言われた。甲子園で3本のホームランを打った萩原は大学4年間でホームランを3本しか打てなかった。プロ志望届を提出したが、ドラフトでは指名されなかった。それでもプロ野球選手を目指し、社会人野球ではホームランバッターになるため肉体改造に励んだが、無理なトレーニングにより怪我をして諦めた。甲子園のホームランに苦しめられたが、それがなければプロを目指したり、自分に自信を持つこともなかったので、後悔はしていないと語った。
2007年の夏の甲子園は佐賀北が優勝して、がばい旋風を巻き起こした。この大会でホームラン王になったのが佐賀北の副島浩史さん。決勝の満塁ホームランなど3本を打った。現在は高志館高校の野球部監督として甲子園を目指している。マー君とハンカチ王子の対決に日本中が釘付けになった2006年の夏の甲子園でホームラン王になったのは智辯和歌山の廣井亮介だった。
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2006年の夏の甲子園でホームラン王になったのが智辯和歌山の廣井亮介さん。34歳になった現在はゴムメーカーの営業として働いている。甲子園では4本のホームランを打った。当時の最多記録は清原和博の5本だったので、5本目を期待する声が多かったが、次の試合で駒大苫小牧と対戦し、田中将大の前に4打数0安打2三振に終わった。2006年の甲子園にはスタジオゲストの杉谷拳士も出場している。帝京高校1年だった杉谷は廣井の智辯和歌山と準々決勝で対戦した。壮絶な打ち合いとなり、投手が足りなくなったので、ショートだった杉谷が投手として登板した。変化球が抜けて、デッドボールになり、1球で交代となった。そのランナーがホームインしたので1球で敗戦投手になってしまったという。
2005年の夏の甲子園でホームラン王になったのが大阪桐蔭の平田良介。1試合で3本を打って衝撃を与えた。大阪桐蔭伝説の4番といわれ、高校通算70本のホームランを打った。高校卒業後にドラフト1位で中日に入団。17年プロ選手として活躍し、去年引退した。愛車は約5000万円のロールス・ロイスだったが、現役引退を区切りにお別れした。
ダルビッシュ有が出場した2004年の夏の甲子園でホームラン王になったのが済美の鵜久森淳志さん。鵜久森さんの現在は?CMのあと。
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2004年の夏の甲子園でホームラン王になったのが済美の鵜久森淳志さん。高校卒業後にドラフト8位で日本ハムに入団し、プロに14年間在籍した。甲子園では3本のホームランを打ったが、プロでは14年間でホームラン11本だった。現在はソニー生命保険でライフプランナーとして働いている。今の仕事は野球より向いていると語った。
2003年は複数のホームランを打った選手がおらず、ホームラン王は該当者なし。2002年のホームラン王は明徳義塾の森岡良介さん。高校卒業後にドラフト1位で中日に入団。ヤクルトに移籍してリーグ優勝に貢献した。現在はヤクルトの一軍内野守備走塁コーチを務める。2002年は森岡の他にも5人が2本のホームランを打ってホームラン王となっている。2001年のホームラン王とは連絡がつかなかった。
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2023年5月28日(13:30)