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S-PARKのオープニング映像。
サーフィンの五十嵐カノア選手は米カリフォルニア生まれの26歳。5ヶ国語を操るマルチリンガル。2021年の東京オリンピックで初採用されたサーフィンで銀メダル。3歳でサーフィンを始め、6歳でローカルコンテスト初出場にして初優勝。18歳でチャンピオンシップツアー初出場。21歳でアジア人初のツアー優勝を果たした。今年のワールドゲームズではアジア勢トップ。日本男子第1号でパリ五輪出場が内定。帰国後の会見では「これからが本当のスタート」と語った。今回、タヒチで試合に向けて準備する五十嵐に密着。
オープニング映像。
九十九里浜の最南端にある千葉県一宮町は日本屈指のサーフタウン。サーフィンにご利益があるという珍しい神社「玉前神社」で村上と五十嵐が待ち合わせ。五十嵐は1年ぶりの帰国。神社への参拝は珍しいという。全国でも珍しい「波乗守」も。今回の帰国は4泊5日。パリ五輪出場内定の報告を所得チームやスポンサー、ファンなどに直接行うことや、日本の家に戻ることが目的。
帰国した五十嵐カノアに雑誌取材。帰国したばかりで眠そうな様子。この日はタヒチ、メキシコ、米カリフォルニアを経由して日本へ。取材中、手には常にスマホが。アプリで世界の波をチェックしていたそう。
1年の355日は海の上にいるという五十嵐カノア。日本への帰国2週間前、南国のタヒチに。ここはフランス領で、パリ五輪のサーフィン会場でもある。トレーニング拠点は島の南東に位置する村。世界最高レベルのビッグウェーブが立つことから「世界一危険な波」ともいわれる。サーフィンは制限時間内に波に乗り、高得点2本の合計点で争う競技。得点が取りやすい技の確認も。東京オリンピックでは波が小さく、テクニックで得点を稼ぐなどした五十嵐。タヒチでは波が大きいことから、「チューブ」をくぐり抜けることが高得点につながるため、パリ五輪では勝負のポイントに。
東京オリンピック準優勝の五十嵐カノア。準決勝では2年前から練習してきた技が決まるなど好感触だったが、30分後の決勝では一転して上手くできず。勝つための技はあったが、見せられるチャンスがなく悔しさを感じたそう。パリ五輪の舞台タヒチの攻略のため、サーフボードを新調。
帰国した五十嵐カノアは、父とともに好物のラーメン店へ。こってりした味わいがお気に入り。東京オリンピックの会場になった国立競技場そばの店。アメリカで生まれ育った五十嵐だが、帰国する度に日本料理を紹介した父の影響でこのように。日本代表としての参加をえらんだのも五十嵐自身。フジテレビは8年前、当時17歳の五十嵐を取材。練習には常に家族が同行。両親が五十嵐の技を指導するなどした。当時から世界チャンピオンを目標としてきて、22歳で東京オリンピック2位。この様子はJOCミュージアムにも展示。写真撮影やサインに応じたほか、子供たちと交流。サーフィンの認知度を広めたいという五十嵐は「子供たちのためにも優勝したい」と話す。
9月、千葉の釣ヶ崎海岸で五十嵐カノアと村上信五が初対面。サーフィン未経験の村上に、五十嵐が指導する。釣ヶ崎海岸は東京オリンピックの会場にもなっていて、ビーチには記念モニュメントも。大人に教えるのは初めての五十嵐。初心者には難しい状況だったが、的確な指導もあって村上は波乗りに成功。サーフィン後、2人でバーベキュー。母の作る和食で育った五十嵐の主食は米。タヒチ滞在中も毎日自炊。現在、タヒチの波に耐えうる体を作るため増量中。去年チャンピオンシップツアーでは、タヒチの海を舞台に9.7点の高得点。
5ヶ国語を話す五十嵐カノア。話せるようになったのは英語、ポルトガル語、スペイン語、日本語、フランス語の順。トップ選手36人だけが参加できるワールドツアーに参戦して今年で8年の五十嵐だが、国を背負うオリンピックとは心構えが変わるそう。ビーチクリーン活動なども積極的に参加。世界チャンピオンになって、強いメッセージを届けたいという。ツアーでつける背番号50にちなんで、ファンや関係者などは「チーム50」と呼ばれる。
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オフにはゴルフもするという五十嵐カノア。村上とパター対決を行い、一発で入れれば番組からプレゼントを贈呈。先攻の村上が成功し、五十嵐も同様に成功。醤油好きの五十嵐にちなんで、醤油生産量日本一の千葉県産醤油セットを贈呈。
五十嵐カノアはハーバード大学院のビジネススクールに入学。前から興味のあったビジネスを学んでいるそう。競技は今後一生続けていきたいそう。