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「あの日 昭和20年の記憶」 のテレビ露出情報

服飾評論家の市田ひろみさんは、着物着付け師として初めて現代の名工に選ばれた。俳優としてテレビドラマやCMでも活躍した。世界各国を訪れ、多くの民族衣装を収集・研究したことでも知られている。市田さんは昭和7年大阪生まれ。父親の仕事の都合で小学校時代を中国・上海で過ごしたが、戦況が悪化し帰国した。その後、母親は京都で美容室を始めた。市田さんも美容師の資格を取得したが、短大卒業後はOLになった。仕事の後はお茶やお花、英会話など様々なお稽古ごとに通った。お茶の先生に誘われ撮影所見学に行くと、実はそこは面接会場で、合格した市田さんは23歳で大映のニューフェイスに選ばれ、俳優へと転身した。悪役に当てられることが多かったが、うまく演じきれず悩んだ。女優をやめ、京都に戻って美容師として働き始めた。その後、呉服問屋の社長に依頼され、着物の着付け教室を開いたところ、大盛況となった。市田さんは着付け以外にも染色や紋様、服飾の歴史を学び、テレビ番組にも数多く出演するようになった。昭和43年には、海外で民族衣装の収集を始めた。初めは着物に世界各地のデザインを取り入れるためだったが、次第に日常着の虜になっていった。100ヶ国以上、収集した衣装は430セットに及んだ。近代化で民族衣装が消えていく現実に直面した市田さんは、日本の着物に対しても危機感を抱いた。市田さんは世界各地で着物ショーを開き、着物の魅力を伝え続けた。平成20年の北海道洞爺湖サミットでは、各国のファーストレディの歓迎行事で十二単の着付けを披露した。着物を愛し、多くの人に着てほしいと願った市田ひろみさん。民族衣装に魅せられ、世界に日本文化を発信した90年の生涯だった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年12月29日放送 6:10 - 6:40 NHK総合
耳をすませば女性の幸せづくりに情熱を燃やして〜桂由美×赤松良子〜
男女雇用機会均等法の制定に尽力し「均等法の母」と呼ばれた赤松良子は昭和4年大阪生まれ。「女のくせに」という言葉が何より嫌いだった。戦後、女性参政権の実現に心を踊らせ東京大学で学んだ後、1953年に労働省(現・厚生労働省)に入省。女性だという理由だけで婦人少年局へと配属された。同期の男性職員が続々といろんな部署を経験し昇進する中、赤松は留め置かれた。高度経済成[…続きを読む]

2024年5月29日放送 16:05 - 17:00 NHK総合
午後LIVE ニュースーン蔵出しセレクション
かつて文部科学大臣を歴任した赤松良子さんは生前は女性の地位向上に力を注ぎ、1985年当時男女雇用機会均等法の成立に尽力していたが今年94歳で亡くなった。赤松良子さんは昭和4年に大阪で産まれ、女学校時代は働く女性へ憧れをつのらせつつも女性に参政権が無いことに疑問をいだいていた。東京大学を卒業後は当時の労働省に入省し、女性という理由だけで夫人少年局に配属された。[…続きを読む]

2024年5月18日放送 5:40 - 5:50 NHK総合
NHK映像ファイル あの人に会いたい(NHK映像ファイル あの人に会いたい)
赤松良子さんは女性キャリア官僚の草分け的な存在で、職場での男女の平等を目指す男女雇用機会均等法の成立に尽力。女性の地位向上に力を注いだ。細川羽田内閣では民間から入閣し文部大臣を務めた。赤松さんは昭和4年に大阪で生まれお転婆で女のくせにという言葉がなによりも嫌いだった。女学校時代に働く女性へのあこがれをつのらせていく。戦後に女性の参政権が認められると心が踊った[…続きを読む]

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