福島県いわき市に伝わる「じゃんがら念仏踊り」新盆の家庭を回り供養をする伝統の習わし。それを見つめる石原充さん・きみ子さん夫婦。2人は10年ほど前に小さな葬儀店を始めた。”お金がかからない葬儀店”そのきっかけは、「死体遺棄」のニュース。妻が亡くなり、葬儀をするお金がなかった夫が自宅の庭に埋めたという内容だった。元々大手の葬儀会社で働いていた2人、お金をかけないように葬儀道具は手作り。霊柩車は軽自動車で、行う葬儀は最低限。葬儀費用は、自治体からの給付などを合わせると約5万円ほど。特に多いのは市役所や警察署からの依頼で、”孤独死”の葬儀。年間で100人を超えるという。
この日の葬儀は、近所との繋がりもなく”孤独死”した60代の男性。引き取り手もいないため、送り出すのは石原さん夫婦と火葬場の職員達。石原さん夫婦が必ず最期にかける言葉が「お疲れさま」だという。石原さんは、そう言ってあげなければ、故人が浮かばれない。独りで逝くのは悲しいことだから、最期には自分たちがいると伝えているとのこと。去年自宅で孤独死した人は全国で7万人余り、その内8割ほどが65歳以上の高齢者だった。家族や地域とのつながりが薄れていることが背景にあるという。警察からの電話で父が孤独死したことを知った女性、実家に入ったのは約15年ぶりだという。父は当時75歳、自宅で独りで亡くなっていた。父はシステムエンジニアとして働き一家の大黒柱だった、家族での思い出もたくさんあったが父の不倫がきっかけで両親は離婚。女性は母と共に家を出た。女性はいしはら葬斎で葬儀を上げた。
事情はあったが、最期をみとることができた人もいた。石原夫婦に父の葬儀を依頼した美佐さん。父の林平さんは漁師だった。美佐さんが幼い頃、家に帰って来るのは年に数回。それでも毎回レストランに連れて行ってくれた父が大好きだった美佐さん。しかし20年ほど前、 母が悪質な訪問販売などを断りきれず約1700万円の借金、責任を感じ母は家を出て行った。林平さんは、たばこも酒もやめて年金を借金の返済に充てたという。林平さんは、子どもや孫たちに囲まれて最期を迎えたという。
この日石原さんのもとに1本の電話がかかってきた。火葬後の男性の遺骨について、同居していた女性から火葬後の遺骨を引き取らないという連絡だった。女性は火葬の現場にも姿を見せなかった。夫婦は引き取り手のない遺骨にも最期まで寄り添う。同じ状況の遺骨と一緒に埋葬。誰も引き取ってくれない遺骨が、今増え続けている。
この日の葬儀は、近所との繋がりもなく”孤独死”した60代の男性。引き取り手もいないため、送り出すのは石原さん夫婦と火葬場の職員達。石原さん夫婦が必ず最期にかける言葉が「お疲れさま」だという。石原さんは、そう言ってあげなければ、故人が浮かばれない。独りで逝くのは悲しいことだから、最期には自分たちがいると伝えているとのこと。去年自宅で孤独死した人は全国で7万人余り、その内8割ほどが65歳以上の高齢者だった。家族や地域とのつながりが薄れていることが背景にあるという。警察からの電話で父が孤独死したことを知った女性、実家に入ったのは約15年ぶりだという。父は当時75歳、自宅で独りで亡くなっていた。父はシステムエンジニアとして働き一家の大黒柱だった、家族での思い出もたくさんあったが父の不倫がきっかけで両親は離婚。女性は母と共に家を出た。女性はいしはら葬斎で葬儀を上げた。
事情はあったが、最期をみとることができた人もいた。石原夫婦に父の葬儀を依頼した美佐さん。父の林平さんは漁師だった。美佐さんが幼い頃、家に帰って来るのは年に数回。それでも毎回レストランに連れて行ってくれた父が大好きだった美佐さん。しかし20年ほど前、 母が悪質な訪問販売などを断りきれず約1700万円の借金、責任を感じ母は家を出て行った。林平さんは、たばこも酒もやめて年金を借金の返済に充てたという。林平さんは、子どもや孫たちに囲まれて最期を迎えたという。
この日石原さんのもとに1本の電話がかかってきた。火葬後の男性の遺骨について、同居していた女性から火葬後の遺骨を引き取らないという連絡だった。女性は火葬の現場にも姿を見せなかった。夫婦は引き取り手のない遺骨にも最期まで寄り添う。同じ状況の遺骨と一緒に埋葬。誰も引き取ってくれない遺骨が、今増え続けている。