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「おやじギャル」 のテレビ露出情報

話を聞いたのはegg元編集長の赤荻瞳さん。2023年渋谷女子インターナショナルスクールの校長に就任。世界に通用するインフルエンサーの輩出を目指している。「ギャル」という言葉はアメリカでガールの俗語として使用されていたもので、昭和後期に日本に広まり、当初は活発な若い女性を指す言葉として使用された。1986年になると男女雇用機会均等法により、社会進出する女性が増加。そこで誕生したのが「おやじギャル」。おじさんのような行動をするOLが増え「おやじギャル」と呼ばれるようになった。おやじギャルの3要素は「ドリンク剤」「競馬」「ゴルフ」。おじさんのような行動をすることが流行ったという。おやじギャル効果もありドリンク剤専門カフェもオープンした。ゴルフ場は女性が溢れ、競馬場にも女性の姿があった。平成2年の新語・流行語大賞では銅賞が「おやじギャル」だった。
1990年代後半になると、ギャルの主流は「コギャル」に。コギャルの三要素は「学生」「ルーズソックス」「ミニスカ」。登下校と授業中で靴下を履き替えるコギャルの姿もあった。1996年に入ると、コギャルが流行する一方、新勢力としてアムラーが登場。「へそ出し」「ミニスカ」「厚底ブーツ」が三要素となっていた。平成8年の新語・流行語大賞のトップ10にルーズソックスとアムラーがランクインした。1999年になると次なるギャルとして「ヤマンバ」が登場。黒ギャルの三要素は「黒肌「派手髪」「濃いメイク」。黒ギャル文化が広がった結果、黒肌と派手髪のギャル男も誕生。
しかし、2000年代に入ると、白ギャルも突如ブームに。そのきっかけになったのは浜崎あゆみ。白ギャルの三要素は「金髪」「白肌」「ローライズジーンズ」。好きなものが異なるギャルたちが全員踊れると言っても過言ではないほど流行したのがパラパラ。最初のパラパラブームは昭和後期で、平成初期にはパラパラブームが衰退するも木村拓哉が番組で踊ったことがきっかけで再ブームに。この頃、ギャル文字も登場。プリンセスのような姫ギャルや髪の毛を派手に盛りデカ目メイクのアゲ嬢ギャルが誕生するなどギャル人口が増加。ところが2010年代になると渋谷の街からギャルが減少。その結果19年間続いたeggも休刊となった。しかし、令和に入ると小学生ギャルブームが到来。当時のギャルたちがギャルママ世代となり親子でギャルをやっているという。時代と共に変化してきたギャル
。そもそも日本初のギャルと呼ばれたのは1977年スター誕生で合格した3人で結成された「ギャル」。薔薇とピストルという曲でデビューし約2年間活動した。

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