父が病に倒れ仕方なく家業のサツマイモ農家を継ぐことになった池田。しかし台風や害虫でうまくいかなかった。池田は母に思わずなんで自分に農業をさせたのかと聞き、両親が自分の農業をさせたのが悪いと思っていたという。そんな時自分の子どもたちをみて自分のことを誇らしく思ってくれるか?などと思ったが全く思わないだろうと気づいたという。それでは駄目だと思い、サツマイモ作りに賭け、品質と規模の向上に突き進む。しかし新たな葛藤には、いくら高品質のサツマイモを栽培して卸しても他の農家の芋と混ざりあい消費者の顔も見えてこない。やりがいを見出すべく41歳で農協を脱退した。家族4人で個人経営を始めた。しかしその時妻は反対したという。家族で作った良質なサツマイモを携え、他県のスーパーに営業をかけ評価を高めたという。売上は年間5000万円にまで達したという。しかし池田は法人化した理由には家族4人で5000万円を売り上げたのはすごいことだが実際年間10日も休んでいなかったという。そうなると時給500円を切るほどで朝から夜まで必死になって働き、家族を自分の欲を満たすために怒って仕事をさせていたという。それが幸せなのかと考えた時に家族がつらそうに仕事をしている姿があったと答えた。