「4」はいつから迫害され始めたのか。国立歴史民俗博物館名誉教授の新谷先生いわく、平安時代に漢字が普及すると四を「し」と読むところから敬遠するようになったという。さらに、平安京では人口集中により春から梅雨にかけて疫病が流行、死者が大量発生したことで、「死」を連想させる「4」は不吉な数字として嫌われたという。江戸時代には落語で「しの字嫌い」という演目が誕生したり、江戸の大火事が起きたことでドジョウ屋の「どぢやう」は四文字で演技が悪いと「どぜう」に改名し店は大繁盛したという。そして、現代に入ってからも車のナンバープレートは所有者が希望しない限り「42」「49」は使用されないなど、「4」の迫害例は枚挙に暇がなく、現在も迫害は続いている。