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「べにまさり」 のテレビ露出情報

経済成長真っ只中の1960年代、茨城・行方郡は日本有数の葉たばこの産地だった。当時、男性の喫煙率は83.7%。作れば作るだけ売れる農家が町を支えていた。そんな中、棚谷保男の家では畑が小さく葉たばこが作れない、さつまいも農家だった。さつまいもは米の代わりに腹を満たす安いもの。冷ややかな目を感じて棚谷は育った。1972年、冬、棚谷は親に内緒で京都の大学を受験した。貧しい我が家が学費を払えないことはわかっていた。それでも1度でいいから大学という場所に足を踏み入れたかった。合格したが父と母には言えなかった。大学を諦め棚谷は農協職員になり、さつまいも担当を命じられた。市場でも行方の芋は品質が悪く下級というレッテルが貼られていた。ここまでバカにされるのか、いつかさつまいもも日本一にして見返してやると火が着いた。まず目指したのは県内一。葉たばこ農家の渋谷信行のもとを訊ねた。渋谷は若手の農家から慕われるリーダー的存在だった。棚谷は渋谷にさつまいもにも力を入れてほしいとお願いした。葉たばこ農家は、葉たばこを植えていない時期にさつまいもを育てていた。しかしそれはあくまで土壌を良くするためだった。棚谷から一緒に行方を日本一の産地にしたいと言われ、渋谷は一回、ちゃんと芋を作ることにした。どうしたら良い芋が作れるのか、棚谷は関東の芋の産地を視察して回った。驚いたのは、農家が芋を1本1本手で洗っていたことだった。ここで棚谷は自分たちこそ、芋をバカにしていたのではないかと気付いた。たかが芋だと思うな。みなで県の農業試験場の研究者を招き、栽培方法などを1から学び始めた。渋谷たちは芋を手間ひまかけて育て始めた。棚谷はその芋を最高の状態で市場に出そうと貯蔵庫を管理した。芋は美味しくなり、出荷量はどんどん増えていった。4年後、行方が県が制定する銘柄産地にさつまいもで唯一指定された。しかし、全国的にはまだ無名。それでも渋谷と棚谷たちはさつまいも栽培を続けた。ある日、棚谷のもとに県の職員が訊ねてきた。新種の「べにまさり」の売り込みがあったので食べてみてくれないかと言われた。夕方、棚谷は冷めた「べにまさり」を食べ衝撃を受けた。芋はホクホクというのが常識だったが、べにまさりはしっとりとした口当たりで甘かった。宮崎の研究所が10年かけて生み出した品種だという。担当の研究員は吉永優。吉永は室長の山川から「欠点があるものでも見落とさず試せ」と口酸っぱく言われていた。吉永がかけ合わせたのは落ちこぼれの種だった。べにまさりの欠点は大きなにバラツキが多すぎることだった。しかも芽も出やすい。それを聞いた棚谷はチャンスだと思った。こうして焼き芋の常識を変える一歩が踏み出された。

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年4月25日放送 20:07 - 20:55 NHK総合
新プロジェクトX“たかが芋”とは呼ばせない 焼き芋 世界へ羽ばたく
なぜ知名度のたかくなかった、行方のさつまいもに目をつけた?という質問に久保田義彦は「我々も40店舗に満たない地方のローカル会社ですから。簡単に言うと他の産地に相手にされなかった。なので上昇志向のあるところとやれたらいいなと思った。指切りで書面契約はしなかった」などと話した。べにまさりが返品されたときについて棚谷保男は「食べたときは遜色なかったけど店頭に並べた[…続きを読む]

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