2026年4月25日放送 20:07 - 20:55 NHK総合

新プロジェクトX
“たかが芋”とは言わせない 執念の逆転劇〜焼き芋〜

出演者
有馬嘉男 森花子 渋谷信行 棚谷保男 久保田義彦 
(オープニング)
たかが芋”とは呼ばせない 焼き芋 世界へ羽ばたく

安くて素朴なおやつ「焼き芋」。いまのその焼き芋に革命が起きている。海外でも人気が沸騰し輸出量は20年で約100倍。たかが芋とは言わせない。安いイメージを変えたのは焼き芋に人生をかけた者たちだった。

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タイ焼き芋財務省貿易統計
オープニング

オープニング映像。

オープニングトーク

スタジオでさつまいもを使った商品を紹介した。空前の焼き芋ブームでこうした商品が一気に増えた。その火付け役になったのが「べにまさり」という品種。この芋の誕生には痛快な逆転劇があった。

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べにまさり
“たかが芋”とは呼ばせない 焼き芋 世界へ羽ばたく
“たかが芋”とは呼ばせない 焼き芋 世界へ羽ばたく

経済成長真っ只中の1960年代、茨城・行方郡は日本有数の葉たばこの産地だった。当時、男性の喫煙率は83.7%。作れば作るだけ売れる農家が町を支えていた。そんな中、棚谷保男の家では畑が小さく葉たばこが作れない、さつまいも農家だった。さつまいもは米の代わりに腹を満たす安いもの。冷ややかな目を感じて棚谷は育った。1972年、冬、棚谷は親に内緒で京都の大学を受験した。貧しい我が家が学費を払えないことはわかっていた。それでも1度でいいから大学という場所に足を踏み入れたかった。合格したが父と母には言えなかった。大学を諦め棚谷は農協職員になり、さつまいも担当を命じられた。市場でも行方の芋は品質が悪く下級というレッテルが貼られていた。ここまでバカにされるのか、いつかさつまいもも日本一にして見返してやると火が着いた。まず目指したのは県内一。葉たばこ農家の渋谷信行のもとを訊ねた。渋谷は若手の農家から慕われるリーダー的存在だった。棚谷は渋谷にさつまいもにも力を入れてほしいとお願いした。葉たばこ農家は、葉たばこを植えていない時期にさつまいもを育てていた。しかしそれはあくまで土壌を良くするためだった。棚谷から一緒に行方を日本一の産地にしたいと言われ、渋谷は一回、ちゃんと芋を作ることにした。どうしたら良い芋が作れるのか、棚谷は関東の芋の産地を視察して回った。驚いたのは、農家が芋を1本1本手で洗っていたことだった。ここで棚谷は自分たちこそ、芋をバカにしていたのではないかと気付いた。たかが芋だと思うな。みなで県の農業試験場の研究者を招き、栽培方法などを1から学び始めた。渋谷たちは芋を手間ひまかけて育て始めた。棚谷はその芋を最高の状態で市場に出そうと貯蔵庫を管理した。芋は美味しくなり、出荷量はどんどん増えていった。4年後、行方が県が制定する銘柄産地にさつまいもで唯一指定された。しかし、全国的にはまだ無名。それでも渋谷と棚谷たちはさつまいも栽培を続けた。ある日、棚谷のもとに県の職員が訊ねてきた。新種の「べにまさり」の売り込みがあったので食べてみてくれないかと言われた。夕方、棚谷は冷めた「べにまさり」を食べ衝撃を受けた。芋はホクホクというのが常識だったが、べにまさりはしっとりとした口当たりで甘かった。宮崎の研究所が10年かけて生み出した品種だという。担当の研究員は吉永優。吉永は室長の山川から「欠点があるものでも見落とさず試せ」と口酸っぱく言われていた。吉永がかけ合わせたのは落ちこぼれの種だった。べにまさりの欠点は大きなにバラツキが多すぎることだった。しかも芽も出やすい。それを聞いた棚谷はチャンスだと思った。こうして焼き芋の常識を変える一歩が踏み出された。

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べにまさり九州沖縄農業研究センター日本たばこ産業行方郡(茨城)都城市(宮崎)
スタジオトーク

さつまいもにつてい棚谷保男は「バカにされていた。芋を食べたら太る。おならが出る。周りからはあんな儲からないものをなんで作るんだって」などと話した。渋谷信行は「棚谷保男は芯がしっかりしてる。それなら思い切って、さつまいもを頑張るかって気持ちにさせられた」などと話した。

“たかが芋”とは呼ばせない 焼き芋 世界へ羽ばたく

2002年5月、べにまさり作りが始まった。渋谷はべにまさりを掘り起こしたが形にバラツキがあった。こんな曲者を育てるのはムリだと離れる農家が続出した。しかし渋谷にはあとに引けない事情ができていた。2000年代に入り、禁煙ブームが加速。1200あった葉たばこ農家は127戸まで衰退した。渋谷が跡継ぎとして期待した息子も大学卒業後、自動車用品を販売する会社に就職するという。渋谷たちは棚谷たちと連携し栽培実験を始めた。ある日、棚谷のもとに「焼き芋を売り出したい。芋を卸してほしい」と電話がかかってきた。電話をしたのは静岡に拠点を置くスーパーで農産物を担当する久保田義彦からだった。棚谷は「絶対に言われた数字を収めるから、その代わりほかからは買うな。うちもやるから裏切るな」と伝えると久保田は「任せてください」と言った。久保田は3年で赤字店舗の立て直しを成功させた強気の男だった。会社には年間5000万円を売ってみせると啖呵を切った。久保田はこれまでにない焼き芋器の情報をキャッチしていた。この焼き芋オーブンを開発したのは園田豊太郎。園田は35歳で脱サラし変わった商品の発明を生きがいとする男だった。しかし出しても出しても商品がヒットしなかった。焼き芋器の発注は一挙40台。初めての大型受注だった。しかし棚谷には大きな危機が訪れていた。別のスーパーに出荷したべにまさりに、クレームが入った。保管したら芋から目が出てきた返品させてほしいと言われた。棚谷は返品された大量のべにまさりを前に立ち尽くすしかなかった。

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べにまさり
スタジオトーク

なぜ知名度のたかくなかった、行方のさつまいもに目をつけた?という質問に久保田義彦は「我々も40店舗に満たない地方のローカル会社ですから。簡単に言うと他の産地に相手にされなかった。なので上昇志向のあるところとやれたらいいなと思った。指切りで書面契約はしなかった」などと話した。べにまさりが返品されたときについて棚谷保男は「食べたときは遜色なかったけど店頭に並べた時の商品価値はない」などと話した。

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べにまさり
“たかが芋”とは呼ばせない 焼き芋 世界へ羽ばたく

2004年、秋、返品されきたべにまさりは200ケース。合計80万円にのぼった。棚谷は、部下の金田富夫に捨てておいてと頼んだ。金田はもったいないと、保冷庫にそっと芋を隠し棚谷にも言わなかった。2ヶ月後、金田は芽を取ったべにまさりを子どもたちのサッカーで無料で振る舞った。するととても甘いと子どもからも大人からも大好評となった。金田は棚谷のもとに駆け込み、保管していたべにまさりが更に美味しくなっていると伝えた。棚谷はこれは絶対に売れると、県の研究機関と合同で、べにまさりを甘みを最大限に引き出す方法を研究し最適な保管方法を突き止めた。さらに棚谷は園田のオーブンを取り寄せ焼き方を徹底的に研究。誰が焼いても美味しくなるよう、芋の大きさ焼く温度による焼き上がりの違いをこと細かく書いたマニュアルを作った。渋谷たちも改良を重ね、形を安定して作れるようになっていった。棚谷はこのマニュアルを全店舗に配布しろと久保田義彦に伝えた。2005年、べにまさりの焼き芋販売がスタートした。しっとり甘い食感が評判となり日を追うごとに客が増えていった。売り切れる店が続出し、久保田は棚谷に「すごい売れ行きだぞ。残ってる芋を全部ください」と伝えた。その反響はまたたく間に広まり、他のスーパーからも売って欲しいと問い合わせが殺到。農家は作付け量を年々増やしていった。2013年、37年前わずか数百万円だった売上げは20億円に到達した。さらに紅はるかが誕生し焼き芋が広がっていった。2017年11月13日、行方のさつまいも作りが天皇杯を受賞した。

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べにまさり天皇杯
スタジオトーク

棚谷保男は「天皇杯の電話が来たときはありがとうございますって言ってしばらく黙ってた。会場には関わった人みんな来た。みんなで喜んだ。嬉しかった」などと話した。渋谷信行は「やっと他の産地を肩を並べられるようになった」などと話した。久保田義彦は「今思えば他のところに相手にされなくてよかった」などと話した。

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べにまさり天皇杯
“たかが芋”とは呼ばせない 焼き芋 世界へ羽ばたく

13年前、農協を退職した棚谷保男は父親からさつまいも畑を受け継いだ。地元の若者を集めさつまいもの栽培をおこなっている。渋谷信行には20年前嬉しいことがあった。1度一般の企業に就職した、長男が家業を継ぎたいと会社を止めた。休日には孫たちも出荷作業を手伝っている。たかが芋と呼ばれる時代があった。しかし今、その言葉を口にするものはいない。

(エンディング)
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