- 出演者
- 有馬嘉男 森花子 大場英資 正井健太郎 小西健太
19世紀初頭、世界初の鉄道が誕生したイギリス。しかしそれから200年近くの時が過ぎた英国鉄道は老朽化。交渉や事故が相次いだ。そんな状況を一変させたのがclass395。class395は日本のメーカーが高速鉄道。
有馬嘉男がイギリス・ロンドンにやって来た。イギリスの高速鉄道はロンドンーアシュフォード間を従来の半分の37分に縮めた。定時運行も日本の列車が来て以来の大きな変化だという。
オープニング映像。
1990年代初頭、バブル崩壊後の日本。総合トップメーカーのトップに君臨してきた日立は、半導体やコンピューター事業の売り上げが海外メーカーに押されて激減。事業再編を余儀なくされた。笠戸工場の鉄道車両部門は解体の標的となっていた。長年、新幹線や国内鉄道の僅かな車両の注文を他社と分け合う状態だった。売り上げは会社全体の1%にも満たない弱小部署だった。正井健太郎は子どものころから大の電車好きだった。鉄道車両部門を志願し同期1000人の中で、唯一配属されたが仕事はなかった。上司からは家庭用生ゴミ処理機の開発を命じられた。1995年、副工場長に石津尚澄が就任した。石津は長年、産業プラントの設計で海外を渡り歩いた敏腕エンジニアだった。生まれも育ちも向上がある下松市だった。石津は正井たちを呼び「外野の球拾いになるな。自ら打ちに行け」と言い放った。さっそく初めての車両の開発が始まった。独自の加工技術を使い美しい車体を作り上げた。軽くて丈夫な上に製造コストも安く抑えた。石津はすぐに売り込みを開始し九州の鉄道会社などで次々と採用されていった。1999年、工場長になった石津は、鉄道車両部門は海外メーカーに売却する予定だと聞かされた。石津は工場を守り抜きたいと思った。偶然、日本の商社マンがイギリスの鉄道会社を招いて全国の車両工場を巡っていた。イギリスの鉄道会社の人は車両の価格とか納期に苦労しているというので、石津はイギリスに進出することを決めた。イギリスでは鉄道の民営化が失敗していた。社長に許可をもらい正井は実寸台の車両の模型を持ち込み、事故も遅延も減らせると売り込んだが相手にもされなかった。そんなとき、イギリス高速鉄道の入札が始まった。石津はライバル会社の営業マン・アリステア・ドーマーを引き抜いた。石津はドーマーに入札用の資料をみせた。しかしこれでは勝てない「故障率や製造コストをもっと高く表記しろ」と言われた。これでは顧客に日本とは違うことを分かってないと思われてしまう。そのためあえて価格と故障率をあげた。これで信頼を得て入札元の社長が笠戸工場にやって来た。必死に説明しclass35の正式受注が決まった。
プロジェクトはイギリス・ロンドンからドーバーまでをつなぐ新しい路線。ロンドンからアシュフォードまでは最高時速225kmの新しい高速線。アシュフォードからドーバーまでは在来線。この療法を同じ車両で走らなければならなかった。高速線と在来線では電気の通り方が違う。高速線はパンタグラフから、在来線は線路脇のレールから集電しないといけない。さらにそれぞれの電圧が全く違った。高速線は交流の2万5000ボルト。在来線は直流の750ボルト。新車両はこの違いを乗り越えていかないといけなかった。
プロジェクトのリーダーは石津から正井に引き継がれた。正井は早速車体の設計に取り掛かった。営業開始は4年ごと決まっていた。まずは車両のサイズをキメる作業が始まった。Class395は在来線と高速線の両方を走るため搭載する機械も通常の2倍近くになる。正井はこのゲージングの担当に大場英資を指名した。大場は筋金入りの鉄道マニアだった。大場は現地に行き、鉄道を乗り回した。大場はまずレーザー測定機でトンネルやホーム上の車体が接触しそうな箇所の位置データを取得。それは約1万か所にも及んだ。1年後、全ての認証を取り付けるまであと僅かに迫っていた。しかし大場の完了をまてば納期に間に合わない。正井は並行して車両の製造を笠戸工場で始めていた。ところが僅かに残っていた箇所で車両がホームに当たることが分かった。設計をやり直せば納期には間に合わない。認証の担当者から駅のホームを削ってもいいと提案された。こうして車両は完成しイギリスに送り出された。イギリスで始まった試験走行。毎日のように部品が壊れてしまった。
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正井健太郎は「リーダーを任されてこれは大変なことになったと思った。失敗するとかなりダージが大きい。パンタグラフを上げるだけで壊れた。」などと話した。大場英資は「鉄道が好きすぎて、趣味で仕事していると面と向かって言われたこともある」などと話した。
2007年、開票予定の日はあと2年に迫っていた。プロジェクトはclass395専用工場をイギリスに建て、そこに車両を運び込んだ。入社4年目の小西健太がトラブルの対応にあたった。小西はブレーキやカメラなど車両のトライブルを次々に解決していった。しかし、すぐに治ると思っていた電光掲示板とアナウンスがどうしても機能しなかった。このままでは緊急時に乗客の避難誘導すらできない。原因は電圧の差。電圧が変わるとき、部品に負荷がかかり掲示板の表示とアナウンスが消えていた。何度も設計を変更し試験走行を繰り返した。試験走行を安全に行なうため小西とタッグを組んだのはダン・バレットだった。ダンは日本人も驚くほど几帳面な男だった。配線の設計を変更すればすぐにやって来て事細かく聞き取った。ある日、ダンは「お前は牢屋にいきたいのか?」と小西に怒鳴りつけた。小西はダンへの情報共有を失念するようになっていた。その後、小西はダンに何でも相談するようになった。営業開始まで2か月。しかし電光掲示板とアナウンスの問題は解決されなかった。正井は全国の工場に恥を忍んで不具合を共有し、助けを求めた。その時、やって来たのが鳥越誠だった。鳥越はすぐにイギリスに行き最新の機器を使って調べた。原因を突き止め、ノイズをカットする特使なフィルターを電気回路の1つの場所に組み込んだ。すると掲示板とアナウンスが正常に動き出した。2009年12月、class395は予定通りに営業開始の日を迎えた。開業式にはイギリスの首相も駆けつけ「納期も、予算も守った」と称賛した。その後、class395は26万キロ故障せずに走り続けた。class395はイギリスの大動脈として人々の暮らしを支えている。
正井健太郎は「信頼性も持った中でお届けできたのは良かった」などと話した。大場英資は「椅子も自分でドイツのメーカーと交渉して仕上げてきたものなんで、お客さんにも満足していただけるものができたかなと思った」などと話した。小西健太は「ワンチームでやるためには透明性を持って自分たちの情報を出すっていうのが不足していた」などと話した。大場英資がプロデュースした模型を紹介した。
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class395の成功でイギリスにおける信頼を勝ち取った日立。いま2000の車両がイギリスの鉄道を支えている。イギリス人のプロジェクトメンバーたちは今も集まり当時を語り合っている。今、笠戸工場は活気を取り戻している。工場を開放したこの日、従業員の家族、街の人々6000人が集まった。小西健太さんは家族を招いた。大場英資さんは「class395」の模型を披露した。鉄道事業はいまや世界中に広がり会社の大きな柱へと成長した。正井健太郎さんは今、後輩の育成に力を注いでいる。
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