プロジェクトのリーダーは石津から正井に引き継がれた。正井は早速車体の設計に取り掛かった。営業開始は4年ごと決まっていた。まずは車両のサイズをキメる作業が始まった。Class395は在来線と高速線の両方を走るため搭載する機械も通常の2倍近くになる。正井はこのゲージングの担当に大場英資を指名した。大場は筋金入りの鉄道マニアだった。大場は現地に行き、鉄道を乗り回した。大場はまずレーザー測定機でトンネルやホーム上の車体が接触しそうな箇所の位置データを取得。それは約1万か所にも及んだ。1年後、全ての認証を取り付けるまであと僅かに迫っていた。しかし大場の完了をまてば納期に間に合わない。正井は並行して車両の製造を笠戸工場で始めていた。ところが僅かに残っていた箇所で車両がホームに当たることが分かった。設計をやり直せば納期には間に合わない。認証の担当者から駅のホームを削ってもいいと提案された。こうして車両は完成しイギリスに送り出された。イギリスで始まった試験走行。毎日のように部品が壊れてしまった。
