- 出演者
- 有馬嘉男 森花子 佐々木千寿 小澤喜治 畑二郎
2004年10月、帆船・海王丸が台風に襲われ座礁した。船は浸水し167人が閉じ込められた。救助に向かったのは海上保安庁・特殊救難隊。これは特殊救難隊が命を掛けた17時間の戦いの物語。
オープニング映像。
2004年10月、帆船・海王丸が航海に旅立った。海王丸は船乗りを育てる練習船。学生や教官など167人が乗っていた。2カ月半、日本各地の港を巡る卒業前の最後の実習だった。その中の一人、19歳の池田早希は航海士を目指していた。池田の故郷は鹿児島・与論島。島での暮らしにとって船は生活の一部だった。海図の読み方や船の操縦など勉強を重ねて迎えた仲間と過ごす最後の実習に気合いが入っていた。出発から19日目、台風23号は各地で猛威を振るいながら北上。日本海を航行していた海王丸は富山湾にイカリを降ろした。だが夜には風速40mの風が吹き荒れ、6mの大波が押し寄せた。午後10時半、「総員 第一教室に避難せよ」というアナウンスが 響いた。準備を始めた直後、海王丸は座礁。大波に飲まれ、防波堤に乗り上げた。第一教室に集合した教官や実習生たち。海水が流れ込みどんどん水かさが増していった。さらに停電が起こり、船内は暗闇に包まれ外部との通信も途切れてしまった。座礁から1時間半、地元の消防士が現場に到着。小澤喜治と西島秀和は様変わりした故郷の海に絶句したという。命綱を張るため防波堤に向かうも波が襲いかかってきた。その頃、教官の畑二郎は通信を復旧させるため2人の同僚と指揮所に留まっていた。だが大きな波が流れ込み胸と頭を強打、身動きが取れなくなり冷たい波と風にさらされた。学生を守らねばと意識を何とか保っていた。救助を待つこと10時間、ヘリコプターの音が聞こえた。救助に駆けつけたのは海上保安庁の特殊救難隊だった。佐々木千寿は波が大きすぎるので、作戦を考えるため現場を離れようとした。その時、甲板で手を振る畑たちを見つけた。
富山湾で座礁した海王丸は一般客を含めて167人が乗船していた。船内の第一教室に全員が避難したがやがて浸水してしまった。そこで、士官サロンに実習生や教官は避難。無線室にけが人や一般客が避難した。特殊救難隊は通常羽田にある基地から現場に出動するが台風によって飛行機が離陸できない可能性をあらかじめ想定していて、第5隊の5名が硫黄島で待機していた。
座礁から10時間、佐々木はクモの巣のようなロープを突破するにはスタティック降下を使うしかないと考えた。これまで特殊救難隊では最初にヘリからロープを垂らし船に降りていた。しかしロープが船に絡まって隊員やヘリが墜落する危険があり救出を断念せざるを得ない現場が幾度もあった。そこで生み出されたのが佐々木が考えたスタティック降下だった。ロープを垂らすのではなく袋に入れて繰り出しながら降りる。これを救難現場で応用するにはロープのさばき方や着地の動作など慣れた方法を替えなければならない。佐々木は1年かけて第5隊の仲間と検証を重ねた。実践ではほぼ使ったことがないスタティック降下。だが自分たちがやるしかない。午前8時40分、佐々木たちの降下作戦が始まった。この日のヘリの基調はエースパイロットの森公博だった。強風に揺られるヘリを森がコントロール。ヘリを安定させた瞬間、佐々木が降りていった。佐々木は見事着地に成功し、救助を待つ畑教官の元へ急行した。佐々木が声を掛けると畑教官は「下の教室に学生がいます。彼らを先に救出してください」と言った。意識は朦朧とし骨折した教官もいたので佐々木は、先に教官たちを救出することを決断。9時1分、畑教官らが救助され病院に搬送された。船内では池田早希らが水に浸かり耐えていた。
佐々木千寿は「帆船という船主事態も珍しい。マストの多さでヘリすら近づくのが難しい。かなり厳しいと判断した。怖いというより間に合ってよかった」などと話した。救難救助の現場で恐怖を感じることについて佐々木千寿は「本当に恐怖を感じて動けないようだったら辞めたほうがいい。恐怖に負けたら終わり」などと話した。佐々木さんは保安庁に入るまで泳げなかったという。
座礁から11時間が経過。特殊救難隊第一隊や地元管区の潜水士たちが防波堤に到着していた。日没までに164人を救出するには人手が足りない。その時、富山消防署の小澤喜治は「全力で協力する」と言った。海上保安庁と富山市消防局の合同チームが結成され作戦を練った。まず防波堤と海王丸の間にロープを張り道を作る。救助たち8人が乗船し、実習生を探し出しロープに吊るして陸へ搬送する。ロープは両側を固定すると緩んだりちぎれてしまう、そのため陸側を消防と海保、総勢50人以上が人の力で張る。午前10時作戦開始。ロープが張られると特殊救難隊の小山弦太が先陣をきって海王丸へ向かった。消防隊の小澤も海王丸へ向かった。小澤らは船内で実習生たちを発見。座礁から12時間半、ロープを使った救出が始まった。西島秀和は波の動きを見ながらロープの引手を指揮した。救助開始から2時間、まだ船内には100人以上が残されている。日没まで3時間半。波が弱まった段階でゴムボートを投入。救出作業を加速された。座礁から17時間、167人全員が生還した。
佐々木千寿は「167人救出は奇跡。最初はもっと悪い方に考えているので。全員無事って分かったときは、心の底からよかったと思った。」などと話した。小澤喜治は「海上保安庁、消防本部、最初はぎくしゃく。話をしたこともなければ一緒に訓練士たこともない。佐々木さんのヘリ降下が起爆剤になった。お互いがお互いをカバーしあうようになった」などと話した。畑二郎は「この21年、繋いで頂いた、人生を歩ませて頂いた命の恩人。感謝してます」などと話した。
奇跡の救出から3日後、池田早希は与論島に帰ってきた。荷物は流され何も持っていなかった。2週間後には実習のため再び乗船。卒業後は貨物船の航海士になった。その後、与論島に戻り家族と暮らしている。海上保安庁特殊救難隊は発足50年を迎えた。過酷な現場に飛び込み続け総勢3000人を救助。殉職した隊員は1人もいない。
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