茨城県日立市の「塙山キャバレー」。店は年々減り続けて今は12軒。2025年秋、最大の危機が訪れていた。簡素なトタン張りの店全てが立ち退きにあうかもしれないという噂が流れていた。酸いも甘いも噛み分けてたママの言葉に背中を押される若者の姿を幾度となく見てきた。「めぐみ」のママである關恵子さんは17歳の時、お金に困った実の母親によって温泉芸者として置屋に売られた。塙山キャバレーに店を持ったのは27歳の時だった。ハロウィンにやってきたのは、かつては東京の一流ホテルで働いていたというメイさん。さゆりさんは妻子もある男性。横浜から単身赴任でこの町に来て、自分をさらけ出せる場所に出会った。
「塙山女子大学」の店長の本業は大学講師。塙山に空き店舗ができ寂しくなっていくのを見かねて店を開いた。塙山の大型新人と呼ばれているのが「なおちゃん」のママ。依然は別の場所でスナックに務めていたが6年前にうつ病を発症、ようやく立ち直り塙山キャバレーに来て水を得た魚になったという。60年前、塙山キャバレーが誕生してからの日々は今以上にタフだった。酒に酔った荒くれ者たちが大暴れすることもしばしば。体を張ってここを守ってきたのが5人の子どもを育てながら店に立つ京子ママだった。酔った客がめぐみママの店でとぐろを巻いていた。客と向き合っていたのはなおちゃん。
塙山キャバレーが立ち退きにあうという話があちこちで飛び交うようになり、真偽不明な噂を語る常連客もいた。塙山キャバレーに20軒以上の店が立ち並んでいた1980年代、一度立ち退きの話が持ち上がり弁護士を立てて交渉したことがあった。その時に出された和解条項には1995年までを期限として土地を明け渡すことが明記されていた。しかし、それを過ぎても契約の更新が認められていたのは大家の温情に他ならないことを「ふじ」のママは事あるごとに客にも伝えていた。2025年に3年契約した「塙山女子大学」と「なおちゃん」は2028年以降の契約更新はしないという条件だった。すでに閉店した店は以降貸し出されることはなく更地となった。「みき」のママはすでに辞めることを決めていた。他の店のママも心が揺らぎ始めていた。10月半ば、コロナ禍以降7年も中断していた秋の屋台祭りを開催し結束を図ることにした。
「塙山女子大学」の店長の本業は大学講師。塙山に空き店舗ができ寂しくなっていくのを見かねて店を開いた。塙山の大型新人と呼ばれているのが「なおちゃん」のママ。依然は別の場所でスナックに務めていたが6年前にうつ病を発症、ようやく立ち直り塙山キャバレーに来て水を得た魚になったという。60年前、塙山キャバレーが誕生してからの日々は今以上にタフだった。酒に酔った荒くれ者たちが大暴れすることもしばしば。体を張ってここを守ってきたのが5人の子どもを育てながら店に立つ京子ママだった。酔った客がめぐみママの店でとぐろを巻いていた。客と向き合っていたのはなおちゃん。
塙山キャバレーが立ち退きにあうという話があちこちで飛び交うようになり、真偽不明な噂を語る常連客もいた。塙山キャバレーに20軒以上の店が立ち並んでいた1980年代、一度立ち退きの話が持ち上がり弁護士を立てて交渉したことがあった。その時に出された和解条項には1995年までを期限として土地を明け渡すことが明記されていた。しかし、それを過ぎても契約の更新が認められていたのは大家の温情に他ならないことを「ふじ」のママは事あるごとに客にも伝えていた。2025年に3年契約した「塙山女子大学」と「なおちゃん」は2028年以降の契約更新はしないという条件だった。すでに閉店した店は以降貸し出されることはなく更地となった。「みき」のママはすでに辞めることを決めていた。他の店のママも心が揺らぎ始めていた。10月半ば、コロナ禍以降7年も中断していた秋の屋台祭りを開催し結束を図ることにした。
住所: 茨城県日立市金沢町1-1-12
